京都観光タクシー同友会の観光案内
【神護寺】《高野山真言宗別格本山》075-861-1769
2010年11月の神護寺の紅葉
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10-11-14 清滝川 | 10-11-14 硯石からの眺望 | 10-11-14 参道に茶店 |
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10-11-14 山門の紅葉 | 10-11-14 和気公霊廟前 | 10-11-14 和気公霊廟前 |
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10-11-14 本堂前の石段 | 10-11-14 五大堂前 | 10-11-14 かわらけ投げからの眺望 |
この地に高雄山寺と呼ぶ寺があり、※和気清麻呂が復興、和気氏の氏寺とする。809年(大同4)から14年間空海が住持として活躍、その後、長らく荒廃したが、平安末期、※文覚上人が再興を図り、後白河法皇・源頼朝の寄進を得て復興。現在の諸堂は大師堂を除き応仁の乱で焼失、江戸時代以後の再建。国宝・薬師如来像を始め平安、鎌倉時代の第一級の仏像、絵画、書跡などが多く残る。高雄が紅葉の名所となったのは定かではないが、足利義政が1464年、高雄尾崎坊(不明)で紅葉見物したのが初見。名所として定着したのは、室町末期頃と思われる。
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※文覚上人(生没年不祥) 鎌倉前期の真言宗の僧。北面の武士であったが、18歳のとき、いとこ同士の源渡の妻・袈裟御前に恋慕、誤って袈裟御前を殺し出家する。神護寺再興の勧進を後白河法皇に強要し、伊豆に配流。そこで、源頼朝に挙兵を促したという。幕府成立で、頼朝の援助により神護寺を復興。
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楼門 | 参道の茶店 | 金堂にかかる紅葉 |
◇三尾 高尾山神護寺・槙尾西明寺・栂尾高山寺
◆下乗石 正安元年(1299)の銘。下乗石としてもっとも古い。
■楼門 仁王ではなく、四天王のうちの増長天、持国天(二天像)が安置されている。藤原時代の作といわれている。蟇股に輪宝や五鈷の形。
■和気公霊廟 和気清麻呂を祀った護王社であったが、明治7年別格官幣社護王神社となり御所の西に移す。その跡を霊廟として復興。
■鐘楼 江戸初期、所司代・板倉勝重の再建。
◆梵鐘[国宝] 875年の鋳造。銘文は橘広相が序詞をつくり、菅原是善が銘を選び、藤原敏行がかいた「三絶の鐘」と称し、もっとも有名な鐘の一つで日本三名鐘のひとつ。銘の神護寺・姿の平等院・音の園城寺。
■金堂 昭和10年の再建。本尊・薬師如来立像[国宝]を安置。
◆薬師如来立像[国宝] 金堂の本尊。一本の針葉樹の丸太から刻んだ、貞観時代の傑作。
■多宝塔 1935年(昭和10)再建。山口玄洞の寄進。内部に五大虚空像菩薩像[国宝]を安置している。観心寺如意輪観音の作者と同一人物あるいは、すくなくとも同じ系統の作風とみなされている。
■五大堂 1623年(元和9)に始まる江戸時代の復興期の建築。多宝塔ができるまでは五大虚空像菩薩が安置されていた。現在は五大尊像が安置されている。
◆五大虚空蔵菩薩坐像[国宝] 造立時期はおよそ承和年間(834~48)と推定され、空海の弟子・真済による造立と考えられる。
■毘沙門堂 金堂が再建されるまでは本堂(金堂)と呼ばれており、本尊薬師如来像を安置していた。現在は毘沙門天立像(重文)が安置されている。五大堂と同じく1623年(元和9)に始まる江戸時代の復興期の建築。前後に階段付の向拝がある。
■大師堂[重文] もと弘法大師の住房とつたえ、今の建物は桃山時代の再建。
◇土器(かわらけ)投げ 錦雲渓の渓谷を眼下にのぞみ、カワラケを投げると厄除けになるという。
◇その他の寺宝 両界曼荼羅図[国宝]・釈迦如来像(赤釈迦)[国宝]・伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像[国宝]・灌頂暦名・文覚四十五箇条起請文[国宝]・山水(せんずい)屏風[国宝]
資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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