京都観光タクシー同友会の観光案内
【石山寺】《東寺真言宗》077-537-0013
749(天平勝宝元)年、聖武天皇が東大寺造営の際、大仏鋳造用の黄金発掘の祈願のため良弁に如意輪観音を祭らせたのに始まる。石山寺は瀬田川に臨み、甲賀・田上からの材木の集散地にあたる。東大寺完成後は別院の華厳道場として寺勢を誇った。平安の密教隆盛の中で、菅原道真の孫淳祐により真言密教道場として中興、朝廷の信望も得て、参詣参籠が相次いだ。また、都と異なる湖国の風情の中に舟を浮かべるなど物見遊山を兼ねた石山詣が行われ、平安文学の格好の舞台となった。その後源頼朝の寄進や足利将軍の豪勢な参詣などが話題となり、戦国騒乱の戦場にもなる。信長の兵火で旧態を失うが、淀君や徳川氏の寄進でほぼ現在の寺観となる。西国三十三所第13札所。
東大門 | くぐり岩 | 毘沙門堂 |
硅灰石 | 蓮如堂 | 本堂 |
源氏の間 | 御影堂 | 経蔵 |
鐘楼 | 多宝塔 | 月見亭 |
■東大門「重文」 1190(建久元)年に源頼朝が寄進、室町時代に再建された。その後、慶長年間に大修理が行われている。左右に運慶・湛慶作の仁王像を配し、鎌倉建築の豪壮な風格を伝える。
■毘沙門堂 兜跋毘沙門天への厚い信仰から安永2年(1773)に建立されたお堂で、兜跋毘沙門天を本尊としている。
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■蓮如堂「重文」 硅灰石の崖にせり出しで建つ懸造の建物。慶長期に三十八所権現社の拝殿として建てられたが、後に蓮如上人が祀られるようになった。
■本堂(観音堂)「国宝」 硅灰岩の岩盤の上に立ち、外観は1堂のようだが、外陣は1602(慶長7)年、淀君寄進の舞台造。内陣は1096(永長元)年の建築で、岩盤上に立つ本尊・如意輪観音を岩ごと厨子で覆って安置する。厨子は33年に一度、または、天皇即位の翌年に開扉する。滋賀県最古の木造建築物とされており、安産・福徳・縁結びの観音さまとして信仰を集める。
◆源氏の間 本堂内に※紫式部が源氏物語の構想を練ったと伝えられる内陣と外陣に挟まれた花頭窓の部屋。紫式部と侍女の人形が置かれ、そのエピソードを再現している。
※紫式部(978?〜1014?) 仕えていた藤原彰子に物語を頼まれ、石山に参籠し構想を練ったが、筆が進まず苦しんでいた。名月の夜、月が美しく映え、それに打たれた式部は、須磨の風景にイメージを重ねて一気に播磨・明石の巻を書き上げた。これが源氏物語の最初にかかれた巻で、以後書き足され膨大な物語となったという。
■三十八所権現社本殿「重文」 石山寺の鎮守社。一間社流造、檜皮葺で硅灰石の上に建つ。慶長期の伽藍復興時に本堂の礼堂とともに建立。
■御影堂「重文」 真言宗の開祖弘法大師、石山寺開基の良弁僧正、石山寺第三代座主淳祐内供の遺影を安置するお堂。単層の檜皮葺で、内部は室町時代初期を降らない様式となっている。
■経蔵 床下吹き抜けの校倉造で、石山寺一切経4644帖を蔵する。一切経とは奈良時代から奉納されてきた膨大な写経群で、裏文書と呼ばれる経文背紙には貴重な文献が多い。当時、紙が貴重品で、いろいろな紙の裏を利用して写経したので、経文とは別に裏自体にも価値がある。
■鐘楼「重文」 重層袴腰で屋根は檜皮葺、入母屋造。鐘は鎌倉初期に頼朝が寄進したものと伝わり、参詣者も撞く事ができる。
■多宝塔「国宝」 1194(建久5)年に源頼朝が寄進したもので、わが国最古の多宝塔。上層は円形、下層は方形の上下に層からなる。内陣は着色板絵の装飾画で飾られ、中央に快慶作の大日如来を安置する。日本三大多宝塔の一つ。
■石造宝塔 目をつぶって近づき、手に触れると願いがかなうといわれる。高さ3.4mの彫刻を施さない単純素朴な石塔で、鎌倉時代の作。
■月見亭 後白河上皇の行幸に際して建てられたといい、その後再建や修理を経て現在に至る。はるかに琵琶湖を望みながら瀬田川の美しい風景を楽しむことができます。古来月見の宴が催され、※近江八景の一つ石山秋月を楽しんだ所。
※近江八景→比良の暮雪・矢橋の帰帆・石山の秋月・勢多の夕照・
三井の晩鐘・堅田の落雁・粟津の晴嵐・唐崎の夜雨
■芭蕉庵(非公開)松尾芭蕉ゆかりの茶室。松尾芭蕉は石山寺に詣で、「曙はまだむらさきにほととぎす」「石山の石にたばしる霰かな」といった句を残した。
■豊浄殿 宝物館で、春と秋に、紫式部展などテーマ別の宝物公開がある。
■大黒天堂 石山寺大黒天は万寿元年(950年前)に、ご本尊は3人の僧の夢のお告げにて湖水より出現。室町時代(約650年前)秘仏ご本尊の前にお前立ちの仏様が建立。
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