小さな本堂を横に、石段を登ると幾千もの五輪塔に囲まれた
阿育王塔に出る。平安時代、唐に留学した僧・寂照はインドの阿育王が仏教の隆盛を願って世界中にばら撒いたという8万4000の塔の一つが近江に埋まっていると聞き伝え、日本へ知らせた。これを知った一条天皇は塔を探させ、1006(寛弘3)年発見されたのがこの阿育王塔といわれる。日本最大の三重石塔で、高さ7m余り、軸部の背が高く、傾斜のゆるい屋根を掲げ、ゆったりとそびえる。実際には天智天皇のころ蒲生野へ移った百済系渡来人の建立とみられ、現存最古の石塔である。周囲を埋め尽くす五輪塔群、つづいて立ち並ぶ小石仏群、さらに山をめぐる小道の両側に列をなす小石仏は数しれず、類のない景観を見せている。古来、当地には聖徳太子創建の本願成就寺があったが、塔の発見後は石塔寺と称したと伝える。