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京都観光タクシー同友会の観光案内

【伊勢神宮】について

【皇大神宮】御祭神:天照大御神

皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。内宮の奥に広がる神路山(かみじやま)島路山(しまじやま)を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。五十鈴川(いすずがわ)の清流にかかる宇治橋を渡ると参道は深い森につつまれ、静かで神々しい空気を感じることができるでしょう。内宮に鎮まる天照大御神は、我が国で最も貴く、国家の最高神とされています。御神名はいくつかの表記法がありますが、一般には天照大御神の表記が最も親しまれています。

◇『日本書紀』によると 「皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫、就()きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。」と、お言葉を与えらた。また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡し、米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになったといいます。

◇三種の神器(じんぎ) 国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる皇大御神の御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)で、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)草薙剣(くさなぎのつるぎ)を加えて三種の神器と呼ばれます。この御鏡を代々宮中で天皇ご自身がお祭りされていましたが、崇神(すじん)天皇の御代に皇居の外、大和の笠縫邑(かさぬいむら)に神籬(ひもろぎ)を立ててお祭りすることになる。神籬(ひもろぎ)とは榊のような常緑樹で囲われた神聖なお祭りの場を意味します。そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が皇大御神をお祭りされていた。

◇伊勢神宮のはじまり 垂仁(すいにん)天皇の御代に至って、倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祭り申し上げるにふさわしい地を求められ、倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られましたのち、伊勢の国の度会(わたらい)の地、宇治の五十鈴川の川上に到り、そこに「(やしろ)」をたててお祭りした。祠は社とも書き、家()や屋()の代(しろ)という意味で、大きなお祭りに際してそのつど新たにたてられる建物のことです。神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮(神の宮殿)、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になったのは、天武(てんむ)天皇から持統(じとう)天皇の御代にかけてのこと。20年に1度の大祭、神宮式年遷宮もこの時代に始ったといいます。内宮の宮域は、5,500ヘクタールの広さで、大別して神域と宮域林とに区分され、神域とは内宮のご社殿を中心とした付近およそ93ヘクタールの地域です。

宇治橋 内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へのかけ橋といわれています。宇治橋外側の正面から見る大鳥居の姿は感動的であり、身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。宇治橋は20年毎に、かけ替えられます。全長101.8m、巾8.421mで、欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えた純日本風()り橋で、檜で作られています。橋脚の部分は(けやき)を使用します。宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は、内宮の旧正殿(しょうでん)棟持柱(むなもちばしら)が用いられ、外側の鳥居は外宮のものがあてられます。さらに20年たつと、内側の鳥居は鈴鹿峠のふもとの「関の追分」、外側の鳥居は桑名の「七里の渡」の鳥居となります。ともに正殿の棟持柱となって以来、60年のお勤めを果たしています。

五十鈴川と御手洗場 清らかさの象徴内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5(1692)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでます。神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。神域の西側を流れる五十鈴川は別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという伝説があります。

手水舎 今日、神社に参拝する時に、手を洗い、口をすすぐのは、川や海の中に入って(みそぎ)をし、心身を清めていた行事を簡略化したものです。手水の仕方にも作法があり、まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗います。次に左の掌に水を受けて、口をすすぎます。柄杓から直接口をつけるのは不作法とされていますのでご注意を。天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします。

内宮神楽殿(ないくうかぐらでん) 参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、向かって右端から「神楽殿」「御饌(みけ)殿」「御神札授与所」があります。参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、皇大神宮の御神札(おふだ)・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。内宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。

風日祈宮(かざひのみや)御橋(みはし) 長さ43.6m、幅4.6mのこの橋は、またの名を「五十鈴川御橋」といいます。南端の欄干には、「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」の銘が刻まれていて、室町時代に勧進聖(かんじんひじり)の神忠によってかけられたといわれています。この橋を渡ると風日祈宮に参拝できます。

忌火屋殿(いみびやでん) 切妻造の二重板葺のこの建物では、神さまにお供えする神饌(しんせん)が調理されます。「忌火(いみび)」とは、「清浄な火」ということで、御火鑽具(みひきりぐ)を用いて清浄な火をきり出し、この火を使ってお供えものを調理します。この忌火屋殿の前庭は祓所(はらえど)とよばれ、諸祭典の神饌と奉仕の神職を、祭典前に祓い清めます。

正宮 垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおかみ)がお鎮まりになっています。唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と名付けられる建築様式のご正殿はじめ付属の殿舎ならびに御垣は、20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。遷宮によって、2000年昔と変わらない姿を今も拝することができるのです。

【おかげ横丁】

『内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで、お伊勢さんの「おかげ」』という感謝の気持を持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」。約2700坪の敷地内には、この地方の魅力が凝縮されており、三重の老舗の味、名産品、歴史、風習、人情まで、一度に体感できる。

◆おかげ横丁の町並 江戸末期から明治初期の風情をテーマに、伊勢路の代表的な建築物を移築、再現。特徴は、伊勢人が神様のお住まいと同じ平入りでは恐れ多いと妻の部分に玄関を設けた「妻入り」と、雨風の強い伊勢ならではの外壁の仕上げ「きざみ囲い」などが主です。建築材料は、トガ(栂)材を使用しています。

【豊受大神宮】 《御祭神:豊受大御神(とようけおおみかみ)

豊受大御神(とようけおおみかみ)をお祭りする豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)ともいいます。今からおよそ1500年まえ、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波の国から、内宮に近い山田の原にお迎えされたといいます。

豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどります。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。内宮と同じく、正宮と呼ばれ、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、屋根の千木や鰹木など細部にちがいがあります。両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心です。

■第一鳥居口参道 この参道は外宮の表参道にあたります。入口には防火のためにつくられた掘川が流れ、火除橋(ひよけばし)がかけられています。火除橋をわたり神域に入るとすぐ左側に手水舎があり、ここで手を洗い、口をすすいで心身を清め、ご正宮へと向います。

北御門口参道 この参道入口を古くから北御門といいます。外宮神域に入る、もう一つの入口で、第一鳥居口と同じく火除橋がかかっています。手水舎は橋の外の左側にあります。

外宮神楽殿(かぐらでん)  第二鳥居の向こう、右側にある入母屋造の建物が「外宮神楽殿」。「御神札授与所」もあります。参拝者のお申し出により、神恩感謝やご祈願の御神楽の奉奏、御饌(みけ)を奉奠しての御祈祷や献金、豊受大神宮の御神札・御守・暦・御神号軸などの授与を取り扱っています。外宮参拝記念の御朱印もここでいただいてください。また、御遷宮の御造営資金の献金の受付もしています。

正宮 皇大神宮(内宮)ご鎮座より遅れること481年、雄略天皇の御代、天照坐皇大御神のお告げによって、丹波の国(今の京都府下、天橋立付近)から、この伊勢の国度会(わたらい)の山田の原にお迎えした、豊受大御神をおまつりしています。唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)といわれる、建築様式のご正殿は、ほぼ内宮の正宮と規模やつくりは変わりませんが、鰹木(かつおぎ)が内宮より1本少なく、千木(ちぎ)が外削(先端が垂直に切られている)になっています。

資料・伊勢神宮公式サイトより

【神様の話】

◆「天津神」と「国津神」 神道では、神々を総称して天神地祇(てんじんちぎ)と言っています。天神とはまた「天津神」ともいい、地祇は「国津神」ともいいます。天神地祇は日本でもっとも崇敬されている由緒正しい神々ですが、天神すなわち天津神は、天孫降臨以前に高天原に生まれた神々と、高天原から降臨した神、また、その子孫の神のことをいいます。これに対して、地祇すなわち国津神は、天孫降臨以前からこの国土にいついている神々のことです。

別天津神(ことあまつかみ)」と神世七代(かみよななよ) 天地創造にあたって、最初に現われた神、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)、および宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかげひこじのかみ)天之常立神(あめのとこたちのかみ)の五神を「別天津神」といいますが、この神々は別格として、そのあと高天原に現われた七代の神々の時代を「神世七代」といいます。この七代の神は天津神です。

◆「神世七代」の神 国之常立神、豊雲野神(とよくもぬのかみ)この二代の神は独身です。つづいて宇比地邇(うひじに)須比智邇神(すひじにのかみ)角杙(つぬぐい)活杙神(いくぐいのかみ)意富斗能地(おおとのじ)大斗乃弁神(おおとのべのかみ)淤母陀琉(おもだる)阿夜火訶志古泥神(あやかしこねのかみ)伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の五代の神は偶数神ですが、それぞれ二神合わせて一代とされています。なお、最後の伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、神代史上初の夫婦神です。

 この神々の事蹟としては、国之常立神は国土を形成し、それを守護する神であり、豊雲野神(とよくもぬのかみ)は、国之常立神とともに国土形成に協力し、豊かな国のもとをつくった神とされています。宇比地邇(うひじに)須比智邇神(すひじにのかみ)は、泥や砂で大地の形を現わした神、角杙(つぬぐい)活杙神(いくぐいのかみ)は、大地に生物が芽ぐみ始める力を与えた神です。意富斗能地(おおとのじ)大斗乃弁神(おおとのべのかみ)は大地が完全に固まったことを意味します。淤母陀琉(おもだる)阿夜火訶志古泥神(あやかしこねのかみ)は、大地に必要なものはすべてそなわったことを示す神名です。伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、初めてこの国土を経営した神です。大八洲といわれた、本州をはじめとする日本の国土と、これを経営する数多くの神々を生み出し、山、海、川、草木、動物の生育をつかさどった神です。また、伊弉諾(いざなぎ)尊は天照大神の父神でもあります。

◆「地神五代」の神 天津神七代につづいて、神武天皇の前までに五柱の神があり、この五代の神々は皇室の祖神とされています。すなわち、天照大神、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の五代です。

◆地祇の国津神 もともとこの国にいついている神々で、国土を守護する神様です。素戔嗚尊(すさおうのみこと)をはじめ、大国主命を中心とする事代主命(ことしろぬしのみこと)建御名方神(たけみなかたのかみ)その他の出雲系の神々が、主流として大勢力を誇っていました。その中には、山をつかさどる大山祇神(おおやまつみのかみ)その子の足名椎(あしなづち)手名椎命(てなづちのみこと)あるいは猿田彦命(さるたひこのみこと)をはじめとする諸神。また、天津神やその後裔たちの中で、中津国に住みついた神々です。

◆素戔嗚尊 素戔嗚尊は高天原で暴れまわり、神衣を織る機屋に天馬の皮を剥いで投げつけたり、田の畔を切って溝を埋めたり、糞を撒き散らしたりして暴力をふるっていました。天照大神の天の岩戸隠れは、この素戔嗚尊の所業を怒ってのことでした。のちに出雲に降った素戔嗚尊は、八岐(やまた)大蛇(おろち)を退治し、住民の難儀を救いました。

◆大国主命等の神々 因幡の白兎にかかわる神話で有名な大国主命は、若いころ、ワニザメに毛皮をはぎとられた白兎を助けた心やさしい神ですが、常にたくさんの兄弟たちにいじめられていました。そこで因幡をあとにして、出雲へ行き、素戔嗚尊の娘須勢理比売と結婚し、ついに出雲の国の大守となったのです。事代主命と建御名方神は大国主命の子です。大国主命が大黒さま、事代主命が恵比寿さまで、親子ともども七福神に擬せられています。建御名方神は剛勇をもって知られた神で、「国譲り」の交渉で建御雷之男神(たけみいかずちのおのかみ)と力くらべの末、敗れて国譲りに応じたのです。

◆大山祇神 大きな山を管理する神で、その娘木花開耶媛命が天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と結婚します。

◆天照大神について 天照大神の出自は『日本書紀』による伊弉諾尊・伊弉冉尊の間に生まれたとされたとされている説と、『古事記』による説があります。『古事記』によると、伊弉諾尊が、亡くなった伊弉冉尊が恋しく、死者の住むという黄泉の国へ会いに行きましたが、伊弉冉尊はすっかり変わり果てていて、そこにはウジ虫がいっぱい集まっていました。そればかりでなく、その周辺には大雷などの雷神がにらみをきかせているというありさまでした。この有様をみて、黄泉の国を逃げ出してしまったのです。黄泉の国から帰って、日向の橘之小門でこの「けがれ」を洗い清めたとき、左の目を洗うと、輝かしい光とともに美しい女神が生まれました。伊弉諾尊は非常に喜び、特別の神として扱い、天照大神に高天原を納めることを命じました。天照大神の誕生です。

資料・「神道がよくわかる本」阿部正路著

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