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【酬恩庵(一休寺)】《臨済宗大徳寺派》0774-62-0193

 1267(文永4)年、大応国師の創建した妙勝寺が荒廃していたのを※一休宗純禅師が1456(康正2)年に再興し、(しゅう)(おん)(あん)と名づけた。一休にちなみ一休寺の名で知られる。一休はここで後半の生涯をおくり、81歳で大徳寺の住職となった時もこの寺から通ったという。文明13年(1481)、88歳の高齢で入寂(にゅうじゃく)、廟所に葬られている。寺名は荒廃した寺の再建が大応国師に報いる道と考えたことによる。

一休宗(いっきゅうそう)(じゅん)(1394^1481) 室町時代の禅僧。後小松天皇の皇子という。大徳寺48世住持。奇行、狂詩で知られる。一休頓知咄(とんちばなし)で有名だが、これは江戸時代の作。

山門 参道 浴室
三本杉 一休禅師廟所 東司
唐門と方丈 庫裏 虎丘庵

薪能金春芝跡 金春(こんぱる)(ぜん)(ちく)という人が、一休禅師のために能を演じたところと伝える。金春禅竹は室町時代の能役者、能作者で、世阿弥の娘婿として教育を受け、地味な芸風ながら音阿弥とならぶ能の名人。

浴室[重文] 1650年(慶安3年)、方丈再建の時に改築されたもので、未公開。お風呂は「蒸風呂」(現代の「サウナ」)で、おそらく昔は薬湯であったと思われる。

三本杉 一説には、一休さんと蓮如上人、蜷川新右衛門の三人が一本ずつ植えたと伝える。しかしこの三本杉も1961年(昭和36)の第2室戸台風で倒壊。今の杉は三本とも1965年(昭和40)の秋に植え直したもの。新右衛門は、室町幕府6代将軍義教につかえて、一休さんをみはる「サムライ」かつ、将軍の片腕の「寺社奉行」として一休寺を訪れていたというが、二人は仲が良かったという。

■鐘楼[重文] 入母屋造で、はかま腰で背が高い。鐘銘には1623年(元和9)につくられたと記す。大みそかの夜にのみ、除夜の鐘を鳴らせる。

■一休禅師廟所(びょうしょ) 一休禅師は後小松天皇の息子であるので、墓所は宮内庁が管理している。1475年、一休82歳のとき、自ら建立したと伝える。

東司(とうす)[重文] 禅寺では、御手洗のことを東司と呼ぶ。重要文化財の御手洗は、全国でも数少ない。1650年(慶安3)、方丈再建の時に築造。

■唐門[重文] 欄間に獅子と鳳の彫刻があり、方丈へ通じる玄関になっている。1650年(慶安3)の方丈再建の時の築造。

庫裏(くり)[重文] 庫裏とは台所のこと。その前に植えられているのは、樹齢は約400年の枝のたれさがった「しだれ松」。庫裏は1650年(慶安3)の方丈再建の時に改築されたもの。

方丈(ほうじょう)[重文] 方丈は1650(慶安3)年、加賀藩・三代目藩主、前田利常によって再建。同候は1615年(元和元)の「大坂夏の陣」の時、大坂に向かう途中、木津川に陣をしいたときに、一休寺をお参りしたところ、一休和尚が書き残した数々の「おきて」を見て、たいそう感心し、尊敬の念を抱き、酬恩庵を再興したという。『酬恩庵』『祖師堂』『慈揚』の額はいずれも一休の筆による。中央奥の祠堂には一休坐像[重文・室町]を安置する。左右各室には狩野探幽(かりのたんゆう)筆の障壁画などがある。

方丈南庭園1 方丈南庭園2 方丈東庭
方丈北庭園 本堂入口 開山堂

◆庭園[名勝] 南庭は、方丈庭園として広い場所をとり、背後の斜面に刈込みや蘇鉄を植えている。東庭は多数の石を配置し、あたかも十六羅漢が遊行しているさまを表しているという。北庭は背後の田野や遠くまでを借景にし、2mもの巨石を中心にすえて、二段の滝が落下奔流するさまを表した豪快な枯山水庭園。江戸初期の造園で、(しょう)()(どう)(しょう)(じょう)石川(いしかわ)丈山(じょうざん)・佐川田喜六の合作と伝える。

()(きゅう)(あん)[名勝] 方丈南庭から檜皮葺の美しい曲線を描く屋根が望まれる。一休の居室跡で、二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なたたずまいの建物。もとは京都東山のふもとにあったが、一休さんが74才の時に起こった応仁の乱(1467〜1477年)から避難する時に、ここに移築されたという。庭は廟所の庭とともに村田珠光の作という。

■本堂[重文] 室町時代1429〜41年(永享年間)に室町幕府六代将軍、足利義教の帰依によって建立したと伝える。山城・大和地方の唐様建築中で、最も古い建造物。随所に唐様仏殿らしい独特の構成をみせる。本尊釈迦如来、(きょう)()文殊(もんじゅ)()(げん)両菩薩を安置する。

■開山堂 大応国師の等身像を安置する。このあたりは妙勝寺の旧跡にあたるところで、開山堂は大正時代に改築されたもの。内陣には妙勝寺を開かれた大応国師の木像を安置している。この像は一休さんが63才の時の作。

■宝物殿 平成元年5月の建築。一休禅師の墨跡や御使用の御物等の寺宝を展示及び火災等の災害から守る為に建立した、本格的な土蔵建築。

◇一休寺納豆 寺の名産。一休禅師が作ったという。中国、(とう)の国からその製法を伝えられたので(から)納豆(なっとう)とも呼ばれる。製法は大豆を煮て大麦を煎った粉のハッタイ粉を混ぜて、発酵させた後に塩水で練り、夏の炎天下で干しあげた保存食。大徳寺では、大徳寺納豆という。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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