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生身(いきみ)天満宮《祭神・菅原道真》0771-62-0535

生身天満宮が鎮座する園部の地は、菅原氏代々の知行所であったため小麦山(現園部公園)に菅原道真公の邸殿があり、度々ここに来訪。後に生身天満宮の始祖となる武部左衛門尉治定(後に武部源蔵と改め)は、当時の園部の代官で、菅原道真をお迎えする立場として交流があった。901(延喜元)、菅原道真は、藤原時平らの策略により、太宰権師として太宰府へ左遷。これを聞いた武部源蔵は、都の東寺まで左遷途上の菅原道真の後を追う。東寺正殿で対面を果たし、悲痛なお別れを申し上げた時、菅原道真より御形見として、松風の御硯に添えて御歌を賜り、同時に密かに八男慶能君養育の内命を受ける。託され引き受けた武部源蔵は、慶能君を連れて園部へ戻る。そこでつぶさに苦労を重ねて慶能君をかくまい育てながら、ひたすらに菅原道真の無事の御帰洛を待つ。901(延喜元)の春、日夜菅原道真への敬慕の情が切なる余り、また慶能君のご愁嘆を慰めるため、武部源蔵自ら菅原道真公の御木像を刻んだ。そして小麦山邸内にひそかに祠を建てて生祠(いきほこら)と称し、御木像を奉齋し菅原道真公と仰ぐ。時々の五穀を供えて幼君と共に日夜礼拝してご安泰を祈り、深く崇敬の誠を尽くした。

903(延喜3)2月25日、菅原道真公は太宰府で薨じられたので、この生祠を霊廟と改め神忌を務める。その後、956(天暦9)に慶能君及び恩顧の人々や里人らと図り、かねての霊廟を神社と改め千年の時を越えて現在に至る。このように、全国で唯一、菅原道真公が生きておられる時に生祠として祭祀したことから、生身天満宮と称し、これが日本最古の天満宮といわれる所以。

一の鳥居 本殿 境内

◆日本三大歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」

 この「武部源蔵」は、「忠臣蔵」「義経千本桜」と並ぶ日本三大歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」に登場することでも名高い人物。「菅原伝授手習鑑」は、近松門左衛門作の「天神記」を菅原道真公の神話を素材に、さらに発展させ、竹田出雲らが合作した全五段の創作の物語。その四段「寺子屋の段」に「武部源蔵」と菅原道真公の子「菅秀才」が登場します。この段は、生身天満宮の由緒と共通するものが多く、生身天満宮の由緒を戯曲化して描いていると考えられます。おおまかに次のような内容です。

 白太夫に三つ子の梅王丸・松王丸・桜丸が生まれます。菅丞相(菅原道真公)の「三つ子は天子の守りとなる」との言葉から3人はそれぞれ梅王丸は菅丞相、松王丸は藤原時平、桜丸は斎世親王の家来に引立てられます。兄弟は菅丞相に並々ならぬ恩を感じていました。菅丞相の左遷後、その子、実子菅秀才をゆだねられた忠臣武部源蔵は、現在の京北町芹生に隠棲します。菅丞相の筆法の秘技を受け継ぐ唯一の弟子であった武部源蔵は、筆法を伝授するため夫婦で寺子屋を開きます。そうしながら菅秀才を我が子と偽り匿い暮らしていました。それを嗅ぎつけた藤原時平が、菅秀才の首を討つよう迫ります。武部源蔵は、窮余の一策で、新しく寺入りしてきたばかりの小太郎の首を討ち、菅秀才として検視役の松王丸に差し出します。顔を知っているはずの松王丸は、なぜかその首を菅秀才と認め帰っていきます。再び白装束で松王丸が寺子屋に現れ、小太郎は我が子であり、自分は藤原時平の家来でありながらも菅丞相の恩に報いるため、菅秀才の身代わりとなるよう寺入りさせたことを打ち明けるのです。武部源蔵夫婦にとっては命掛けの偽首、松王丸にとっては犠牲になった自分の子を見届けなければならない、緊迫した最も盛り上がる見せ場が「寺子屋の段」です。「菅原伝授手習鑑」は歴史上人物をモデルにしながら、武部源蔵や白太夫、三つ子の兄弟など登場人物が菅原道真公に深く忠義をつくす様や、菅原道真公の霊が崇められていく様などが描かれています。根底に流れる厚い天神信仰が実感される偉大な傑作です。

◆天満宮と使いの牛

 天満宮には、なぜどこにでも「使いの牛」?これには、いろいろな説があります。菅原道真公の生年が846(承和12)625日で乙丑の年だからという説。また薨去されたのも903(延喜3)225日の丑の日だからとの説。菅原道真公の御遺骸を載せた車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所をご墓所と定めたことからとする説。この説から「使いの牛」は、ほとんど臥牛と呼ばれる座った姿勢をしています。他にも農耕の神のご神徳からそのシンボルとする説。菅原道真公薨去後に下された「天満大自在天神」という神号からきているという説。「大自在天」は元々、バラモン教の大本尊で、仏教におけるお姿は、八本の腕と三つの眼を持つ八臂(はっぴ)三眼で、白い牛に跨がるとされているので、そこから結びつけられた。また、大宰府へ下られる際、牛に乗られていた。菅原道真公が牛を愛育されていた。刺客から牛が菅原道真公を守ったことがあった。など様々です。「使いの牛」ひとつにこれだけの伝承があることは、歴史と共に変遷しながら継承されてきた菅原道真公の神威の広大さを物語っています。

 生身天満宮公式HPより

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