京都観光タクシー同友会の観光案内
【宝塔寺】《日蓮宗妙顕寺派》TEL075-641-1859
藤原基経が発願した極楽寺が宝塔寺の前身とされている。極楽寺は基経の没後、嫡子の藤原時平により899年(昌泰2)建立されたもの。鎌倉時代末期、京都で布教にあたっていた日像は当時の極楽寺の住持・良桂と法論を行った。良桂は日像に帰依し、真言律宗寺院であった極楽寺は延慶年間(1308~11)日蓮宗に改宗。日像は妙顕寺で入寂、遺言により当寺において荼毘に付された。応仁の乱で焼失後、長らく再建されなかったが、1590年(天正18)8世日銀が伽藍を再建。
■総門[重文・室町] 切妻造り、本瓦葺の四脚門。柱の上に大斗舟肘木を用い、妻側は大斗の上に虹梁を架して前後を固め、中央に大瓶束と出組三斗を置いて棟木を支えている。屋根の勾配はゆるく、二重繁棰、化粧屋根裏天井とした、和様建築に唐様を折衷した室町時代の代表的な門。
■本堂[府指・桃山] 1608年(慶長13)建立。入母屋造、本瓦葺き。桁行七間、梁間五間。内部中央に本尊釈迦如来像、十界曼荼羅のほか、日蓮と日像の像を安置する。日蓮宗本堂としては本格的な建物で、また、京都市最古の本堂。
■多宝塔[重文・室町] 下層は方三間、上層は円形からなる二層塔婆で、屋根は本瓦葺であるが、下層の屋根に行基葺といわれる特殊な葺き方をした丸瓦がみられる。下層は板唐戸、左右脇間は連子窓とし、斗栱間には宝相華唐草透かし彫りの見事な蟇股がある。京都市現存最古の多宝塔。
■昭宣堂 1941年(昭和16)の建立。前身寺院極楽寺の開祖藤原基経(昭宣公)の宝篋印塔を安置する。
■仁王門 1711年(宝永8)再建。
■日像上人廟 七面山の中腹にある。日像は日郎の門下に入り、1294年(永仁2)京都に初めて日蓮宗を布教した。幾多の法難にも屈せず、1321年(元亨元)四条大宮に妙顕寺を創建し、後醍醐天皇から法華弘通の公許と勅願寺の綸旨を賜った。1342年(康永元)日像は妙顕寺で入寂し、当寺に葬られた。墓石は上人自筆の題目笠塔婆(鎌倉)を以てしるしとしている。
■七面社 1666年(寛文6)身延七面山に垂迹した吉祥天女を勧請し、当寺の鎮守社としたといわれ、像は岩上に座し、右手に鍵、左手に宝珠を持つ。
■墓地 本堂より南にある。2世良桂、8世日銀を葬った中興開山廟、大丸の下村家一族や儒学者山本亡羊、三宅寄斎の墓がある。