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【法隆寺】《聖徳宗》0745-75-2555
 金堂の薬師如来(やくしにょらい)光背銘(こうはいめい)によると、607(推古15)年、※聖徳太子と推古天皇が創建したというが、確証はない。日本書紀(にほんしょき)には670年伽藍(がらん)を焼失したとあり、現伽藍は7世紀末に着工、8世紀初頭に完成したとみられる。平安遷都後も朝廷の崇敬(すうけい)を受け、平安時代以降は興福寺(こうふくじ)の支配下に入る。太子信仰の発展とともに諸堂が拡充整備されたが、室町末期の混乱で一時衰退、豊臣秀頼(とよとみひでより)徳川綱吉(とくがわつなよし)の母・(けい)昌院(しょういん)の援助で復興。明治維新には大部分の寺領を失ったが、その打撃もやがて復興される。昭和24年、修理中の金堂炎上は、その後の文化財の保護に大きく影響した。南都七大寺の一つ。

※聖徳太子(574〜622) 本名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)欽明(きんめい)朝に公伝した仏教をめぐり崇仏派と排仏派が対立したが、太子は蘇我馬子(そがのうまこ)と計って排仏派の物部守屋(もののべのもりや)を討伐、推古天皇の下に仏教は、蘇我氏とともに繁栄の道をたどった。太子は皇太子・摂政(せっしょう)に立ち、仏教を政治の理念に取り入れた。深い思想哲学として仏教をとらえた太子と、政治的・社会的手段としてとらえた蘇我氏とは大きな隔たりがあった。日本最初の成文法である十七条憲法を制定。隋との対等外交も推進した。その後、子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)は、のちの(じょ)明天皇(めいてんのう)を推す蘇我蝦夷(そがのえみし)と争い、法隆寺で一族とともに自殺した。

南大門 1 南大門 2 中門
五重塔 金堂 正岡子規句碑
聖霊院 夢殿山門 夢殿

南大門[国宝]  法隆寺の玄関にあたる総門。創建時のものは、1435(永享7)に焼失、1438(永享10)に再建。軒の反り上がった室町建築。

中門[国宝]  西院伽藍(さいいんがらん)の正門。7世紀末〜8世紀初の建築。金剛力士像(奈良時代)は、残存する最古。正面4間は寺院の門としては異例であり、哲学者・梅原猛(うめはらたけし)によって聖徳太子の怨霊封(おんりょうふう)じのためと説かれている。中国の伝統ではむしろ正統的とも、また、金堂と五重塔それぞれに対する入口ともいわれている。

回廊[国宝] 8世紀前期。回廊の内側は吹き放し、外側は連子窓(れんじまど)を使う。連子窓は光を内側に導くことができ、以後の日本建築に頻繁(ひんぱん)に用いられる。平安時代以前の回廊は、大講堂、経蔵、鐘楼の外側に建っていた。また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮。

金堂[国宝]  法隆寺の本尊を安置。木造建築として世界最古。二重の基壇(きだん)の上に立つ。雲形の組物や卍崩(まんじくず)し、「人」字形の割束(わりづか)などのデザインは7世紀以前の中国や朝鮮半島に通じ、その影響を強く受けたと判断される。上重四隅の竜の彫刻がついた支柱は、元禄の修理の際に付け加えられた。1949(昭和24)、解体修理中であった金堂は、内部の壁画模写(もしゃ)のため持ち込まれた電気座布団から出火、炎上。すでに解体されていた上重の部材だけがかろうじて残った。

釈迦三尊像[国宝] 金堂の本尊で飛鳥時代を代表する金銅仏。聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥)光背の銘によると、聖徳太子夫妻のため、623年、止利仏師(とりぶっし)に作らせたとある。飛鳥仏特有の杏仁形(きょうにんがた)の目、仰月形(ぎょうげつがた)の唇を備え(アスカイックスマイル)、面長な顔に威厳を持つ。

◆薬師如来像(飛鳥)[国宝] 用明天皇のために造られた金銅仏。

◆阿弥陀如来像(鎌倉)[重文] 母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために造られた金堂仏。

◆その他の諸像[国宝] 樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳)、木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安)の諸像を安置する。

◆金堂壁画[国宝] 1949年の金堂の火災で外陣の壁画12面は1949年の金堂の火災で焼損し、小壁の羅漢図は跡形もなく粉砕。内陣小壁の飛天の壁画20面のみは火災当時取り外されて別の場所に保管されていたため難をまぬがれた。この事件をきっかけに文化財保護法が制定された。

五重塔[国宝]  釈尊の遺骨を納める。7世紀後期〜8世紀初の建築で総高34.1m。この塔は上にいくにしたがって塔身が細くなる率(逓減率(ていげんりつ))が大きく、五重は初重の半分になる。塔の中心には心柱があって、基壇下約3mに埋められた心礎(しんそ)から、(そう)(りん)内部までを貫く。相輪には4本の鎌があり、それは、この塔の最大の敵である落雷と台風からまもる悲願だと思われる。

塔本四面具[国宝] 奈良時代の初めに造られた塑像群。初重(しょじゅう)内陣(ないじん)の四方に、土で作った須弥山(しゅみせん)を背に93体の塑像(そぞう)があり、仏典中の有名な場面が表されている。東は維摩居士(ゆいまこじ)文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の問答、北は釈迦の入滅(にゅうめつ)、西は舎利(しゃり)を分ける弟子、南は弥勒(みろく)浄土(じょうど)を表す。中国では南北朝・隋・唐時代にさかんに製作されていたが、大陸を通じて完全な姿で残っているのは法隆寺像のみ。ちなみに初重以外の内部は、部屋の体を全くなしていない。

大講堂[国宝]  鐘楼とともに925(延長3)、落雷によって焼失。990(正暦元)の再建。薬師三尊と四天王を安置。僧侶が経典について問答や講義をするのに座る論議台がある。

薬師三尊坐像[国宝] 講堂の再建時の製作。(ひのき)の一木造、(しっ)(ぱく)

経蔵(きょうぞう)鐘楼(しょうろう)[国宝] 経蔵は8世紀前半の天平時代、鐘楼は11世紀の建築。

■上御堂[重文] 奈良時代、天武天皇の皇子である舎人親王の発願によって建立。989(永祚元)に倒壊、現在の建物は鎌倉時代の再建。堂内には平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像を安置。毎年111~3日に特別開扉。

正岡子規句碑 “柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”

■聖霊院[国宝] 1284(弘安7)の建築。聖徳太子の尊像(平安)を安置。聖徳太子45歳の像、太子の長子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)や弟の殖栗王(えぐりおう)の像等を祀る。秘仏として太子の命日である322日からの3日間だけご開帳される。

■東室[国宝]  西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。この東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物です。この建物の東側には、同じく僧房である小子房の妻室があります。

大宝蔵院 1998(平成10)の落成。飛鳥・白鳳の仏教美術を代表する一堂に会する宝物館。百済観音堂中心で構成されている。

百済(くだら)観音像[国宝] 7世紀中頃の造立。八頭身で209cm、楠の一木造。元禄の記録には「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)、百済から渡来云々」とみえるが、明治に阿弥陀の化仏を刻んだ宝冠が発見され、百済観音と呼ばれる。細身で九頭身、日本における木造仏像彫刻の最古に近い位置を占める貴重な像。

◆観音菩薩立像(九面観音)[国宝]  香木白檀を用い、彩色を施さず白木で仕上げた九面観音は、他ではほとんど見ることのできない独特の技巧的な仏像。

夢違観音像[国宝] 7世紀末頃の造立。86.9cmの金銅仏。悪夢を吉夢に変えるとの伝説からこの名があるが「ゆめちがい」「ゆめたがい」かはわからない。

玉虫厨子(たまむしずし)[国宝] 飛鳥時代の作。透彫り金具下に、虹色に輝く玉虫の羽(推定2563)を敷いた装飾を施している。宮殿部分の建築は、法隆寺金堂より古い様式。その部分を支える須弥座(しゅみざ)には、正面に舎利(しゃり)供養(くよう)、背面に須弥山(しゅみせん)、右側面に施身問偈(せしんもんげ)、左に捨身飼虎(しやしんしこ)の図を描く。内部には、三尊仏像が納められていたが、13世紀に盗難、現在は金銅観音像を安置。

橘夫人念持仏/厨子[国宝] 木造厨子の中に安置される白鳳期の阿弥陀三尊で、光明(こうみょう)皇后(こうごう)の母、橘三千代(たちばなのみちよ)念持仏(ねんじぶつ)と伝える。

◆金堂壁画[国宝] 1949(昭和24)の金堂の火災の際、たまたま取り外されて別の場所に保管されていたために難をまぬがれた20面の飛天図の一部公開。

■東大門(奈良)[国宝] 「中ノ門」ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建つ。珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つ。

東院(とういん)夢殿(ゆめどの)[国宝] 739(天平11)の建築。(ぎょう)(しん)僧都(そうず)が聖徳太子の冥福を祈るために、建立したもので、現存する八角円堂中もっとも古い。基壇も須弥壇も柱さえも、すべてが八角。堂内中央厨子内に救世(ぐぜ)観音(かんのん)を安置する。

救世観音立像(飛鳥)[国宝] 夢殿の本尊で秘仏。樟の一木造。聖徳太子等身像と伝え、800年以上も秘仏だったが、1884年にフェノロサと岡倉(おかくら)天心(てんしん)によって厨子が開かれ、白布に厚く包まれていた像の全容を世に紹介した。

行信僧都(ぎょうしんそうず)坐像(奈良)[国宝] 乾漆造り。唐招提寺の鑑真(がんじん)像と並び称される天平肖像彫刻の傑作。行信は夢殿を中心とする東院伽藍を造る。

◆道詮律師 塑像。平安時代に夢殿の修理をした僧。

夢殿秘仏開扉 41155日と1022113

■舎利殿・絵殿[重文] 聖徳太子が2才の春に東に向って合掌、その時、掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する。11日から三日間、ご開帳される。西側・絵殿には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵を納める。

法隆寺献納宝物 明治の神仏分離令は、仏教会に深刻な影響を与えた。法隆寺も寺領の大部分を失った。法隆寺は宝物を皇室に献納することによって、宝物の分散を食い止めこの危機を乗り切った。この献納に対して皇室より1万円が法隆寺に下賜され、復興の足掛かりになったという。現在、この宝物の多くは東京国立博物館・法隆寺宝物館にある。


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