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【法観寺(八坂塔)】《臨済宗建仁寺派》075-551-2417

 聖徳太子が如意(にょい)(りん)観音(かんのん)の夢の中でのお告げによって、仏舎利(ぶっしゃり)三粒を納めた塔を建て、法観寺と号したのがその始まりと伝わる。創建当初は延喜式(えんぎしき)七ケ寺の一つで、四天王寺式の大伽藍を構える壮大な境内を持つ寺院であった。現在は、1440年(永享12)に足利六代将軍義教(よしのり)が再興した五重塔・薬師堂・太子堂があるだけで、他の伽藍は応仁の乱で灰燼(かいじん)に帰したという。この地はかつて渡来氏族の八坂氏が住んだ地といわれ、八坂の地名もこれによる。

法観寺(八坂塔) 八坂塔内部 木曽義仲首塚
法観寺入口 八坂通りからの景観 二年坂からの景観

■五重塔[重文] 高さ40m、6m四方、本瓦葺の和様建築。建物の特徴として初層から四層までに高欄(こうらん)がなく五層にだけある。高欄(こうらん)とは通路の端に設けられた欄干(らんかん)のこと。五重塔は再建されたものだが、心礎(しんそ)は創建当初の飛鳥時代のままであるという。その初層内部には五大力尊像(五大明王像)(五智如来?) を安置する。初層から二層へは急な階段で登ることができ、心柱が塔を貫く様子を、鏡を使って見ることが出来るという。また、戦乱の世では、この八坂の塔は眺望の良さから、塔をめぐっての争奪戦や陣を示す戦旗が(ひるがえ)ったとの歴史も伝わる。

木曽義仲の首塚 木曽義仲は源氏再興をめざし、1180年に以仁王(もちひとおう)令旨(りょうじ)をもって挙兵、()()加羅(から)峠での合戦で平氏をうち破り京へ上る。破竹(はちく)の勢いで征夷大将軍となり「朝日将軍」ともいわれたが、後白河法皇と衝突、源範頼(みなもとののりより)、義経の大軍に近江の粟津で討たれる。その地に()仲寺(ちゅうじ)がその歴史を伝えているが、首は法観寺辺りに葬られたと伝える。以前は東山区金園町の旅館前に首塚が建てられていたが、旅館が廃業となり放置、八坂の塔の脇に移されたという。

※源範頼(?-1193) 鎌倉初期の武将。義朝の六男。遠江(かばの)御厨(みくりや)に成長したので蒲の冠者ともいう。弟・義経とともに木曽義仲を近江粟津に殺し、平家を一ノ谷・壇ノ浦に破った。義経没落後、頼朝にとりいったが伊豆修善寺で殺された。

三好浄蔵の伝説 三好(三善)浄蔵は、平安時代の文章(もんじょ)博士(はかせ)として著名な三善(みよし)(きよ)(ゆき)を父とし、幼少から非常に聡明で、特に加持(かじ)に長けていたといわれている。また、父の死に際し、「一条戻り橋」で父を蘇らせ、葬列を戻させたという逸話(一条戻り橋の名の由来)や、傾斜していた八坂の塔を一晩で元に戻したという伝説を残し、役行者(えんのぎょうじゃ)と並び称される修験者(しゅげんじゃ)でもある。

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