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京都観光タクシー同友会の観光案内

【平安神宮の枝垂れ桜】  【平安神宮のハナショウブ(花菖蒲)と睡蓮はこちらをクリック】

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【平安神宮】祭神・※桓武天皇、※孝明天皇》075-761-0221

 明治28(1895)平安遷都1100年を記念して、京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。博覧会に先立ち、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀、皇紀2600年にあたる1940(昭和15)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。今日、京都市民の氏神として崇敬されており、社域は22千坪(72,600u)を占めている。

※桓武天皇(737806)  50代。光仁天皇の第1皇子。桓武天皇は在位25年の間に律令を正し、難民を救済し、文教を興しよく内政を整え、以来京都は明治に至る1千余年の間、日本の国都として栄えてきた。陵墓(りょうぼ)は桃山柏原陵。

※孝明天皇(183166) 第121代。仁孝天皇の第4皇子。明治天皇の父君。幕府の公武合体策に応じて妹・和宮(かずのみや)の将軍家茂(いえもち)への降嫁(こうか)を認める。幕末の政局混乱の中で、36才の若さをもって崩御。陵墓は泉涌寺の後月輪陵。

応天門 応天門より拝殿を臨む 拝殿
左近の桜 神苑・八重紅枝垂桜 日本最初の市電
中神苑1 中神苑・臥龍橋 中神苑・カキツバタ
南神苑・泰平閣 南神苑・泰平閣より 薪能05_6_3

大鳥居 明神形・鉄筋コンクリート造・高さ24.2m・柱直径3.63m。因みに高さ日本一は、熊野本宮大社33.9m。二番は奈良の三輪明神32.2m

応天門(おうてんもん)[重文] 応天門は平安京大内裏の正庁朝堂院の南面正門。宮小路康文が揮毫した「応天門」の額を掲げている。高さ19.3m(基壇部分0.9m)

()(じん)相応(そうおう) 四神とは、四方の神、即ち東を(せい)(りゅう)、西を白虎(びゃっこ)、南を朱雀(すざく)(赤色)、北を(げん)()(黒色)と称する。四神に相応した最も貴い地相を四神相応といい、東に「大きな河」のあるのを青竜、西に「広い道」のあるのを白虎、南に「大きな池」のあるのを朱雀、北に「丘陵」のあるのを玄武とする。ちなみに、相撲の土俵の屋根の四隅の房は、この四神の色。

竜尾壇(りゅうびだん)[重文]  平安京朝堂院において、北の大極殿と南の朝堂・朝廷との境に設けられた東西方向の壇上の施設。平安神宮は平安京朝堂院の様式を模して造営されており、龍尾壇は大極殿南庭左右の蒼龍・白虎二楼の南前に一段高く造られ、左右・両端の四ヶ所に3段の石段が設けられている。

(そう)竜楼(りゅうろう)白虎楼(びゃっころう)[重文] 左右に延びる歩廊(ほろう)の端には楼閣があり、東を蒼竜楼・西を白虎楼という。明治28裏松固禅(うらまつこぜん)の『内裏図考証』などを参考に木子清敬(きこきよよし)伊東忠太(いとうちゅうた)の設計で平安京朝堂院の様式を模して造営されたものである。

大極殿(だいごくでん)(拝殿)[重文]  平安京の大内裏の正庁朝堂院の正殿で、即位、朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われる中枢。大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で、不動の指針北極星に比定され、天皇の坐す御殿を意味する。高さ16.7m。大極殿の棟の両端には鴟尾(しび)をのせている。鴟尾は古来宮殿・仏殿等にとりつける飾りで、鬼瓦・鯱と同じく除災のためといわれている。魚は水の中にいることから、火災にならないという意味と思われる。

■平安神宮本殿 昭和51(1976)に過激派テロで両本殿などが焼失、昭和54(1979)に焼失前の2棟を1棟にまとめて再建。周囲に縁を廻し、前方3箇所の5段の階段を設けた、国内最大規模の銅板葺き七間社流れ造りの本殿。

左近(さこん)の桜・右近(うこん)(たちばな) 天皇が南面して左右をいう。当初紫宸殿の南庭には、左近の梅・右近の橘として植えられていたが、仁明天皇の承和年間(834847)梅が桜に植え替えられた。ひな飾りは、宮殿のミニチュア。また、嵯峨大覚寺は、左近の梅・右近の橘の古い形を踏襲している。

■神楽殿と額殿(がくでん)(国登録文化財) 平安京朝堂院の指図にある朝政のために参集してきた官人が刻限まで待機する建物『朝集堂』を模した東西相対する二つの社殿。現在、神楽殿は諸催事の時に神楽や歌舞を奉納、箏曲を奏でる儀式殿。額殿は奉納された額や絵馬を掛けて置く建物。

■釣燈籠 大極殿から応天門に至る各回廊と神楽殿・額殿東西に円筒形鋳造で火袋の窓に蒼龍・朱雀・白虎・ 玄武の四神をあしらった釣灯籠が現在145個吊りさげている。 これは明治38年日露戦争の戦勝を記念して奉納された。

神苑(しんえん) 総面積33,000u(10,000)の広大な池泉回遊式庭園で明治の有名な造園家7代目小川治兵衛らの手になるもの。東神苑((せい)(ほう)())・中神苑(蒼竜池)・西神苑(白虎池)・南神苑の4つの庭からなっている。苑内植栽の枝垂(しだ)れ桜・杜若(かきつばた)花菖蒲(はなしょうぶ)は特に有名。

◆チンチン電車 平安神宮の創建と同じ明治28年、平安遷都1100年を記念して京都市内に敷設された、日本で初めての電車。その縁の深さから廃止になった年からこの一隅へ展示されている。

◆南神苑 平安時代の庭園の特色である「野筋(のすじ)(入り組んだ細い道筋)」と「遣水(幾重にも流れ込んでいる小川)」の様式が特色で、特に『平安の苑』は平安時代に著された書物(伊勢物語・源氏物語・古今和歌集・竹取物語・枕草子)に記されている200種余りの植物が、その一節の紹介とともに植栽されている。◇八重紅枝垂れ桜 京都の近衛家の邸内にあったものを、津軽藩主が地元へ持ち帰り育てたとされており、平安神宮創建にあたり、仙台市長の遠藤氏から苗木が寄贈されたことから「遠藤桜」とも「里帰りの桜」ともいう。 谷崎潤一郎の「細雪」や川端康成の「古都」にも登場するほど著名。現在、境内の300本の桜の内、八重紅枝垂れ桜は半数の150本を数える。

◆澄心亭 茶室として西神苑南西隅の小高い林の中に建てられ、現在は月釜や観桜茶会など年間を通じて利用されている。茶室は明治28年の平安神宮創建時に七代小川治兵衛によって西神苑が作庭された時にこの一角に建てられた。

◆西神苑 白虎池と呼ばれる池。池の辺には「花菖蒲」が群生し、初夏から秋口にかけては池の水面に「睡蓮(すいれん)」と「河骨(こうほね)」が彩りを添える。花菖蒲は伊勢系・肥後系・江戸系を中心に日本古来の品種ばかり200種、2,000株が咲き競います。 見頃を迎える6月上旬、白虎池上に「八ツ橋」が架かかる。

◆中神苑 蒼龍池と呼ばれる池。池に浮かぶ珊瑚島までは「臥龍橋(がりゅうきょう)」と称する飛び石が配置され、周囲には杜若(かきつばた)が群生。臥龍橋は、天正年間に豊臣秀吉によって造営された三条大橋と五条大橋の橋脚が用いられている。この橋を渡る人には、「龍の背にのって池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わっていただく」という小川治兵衛の作庭の意図が織り込まれている。

◇杜若 5月上旬、紫一色の杜若およそ1000株が蒼龍池を彩る。光格天皇がご遺愛された、「折り鶴」という白地に紫の模様が入り、千代紙で折った鶴をそのままそっと置いたかのような杜若の品種がある。

◆東神苑 栖鳳池の辺に建つ尚美館や泰平閣(橋殿)越しに東山連山の一つ華頂山を借景とした雄大な眺めが広がります。中国の伝説の仙郷「蓬莱山」をあらわした「鶴島」と「亀島」は松を頂いて池に浮かびます。

◆泰平閣 栖鳳池(せいほうち)に架けられた橋殿(はしどの)。大正の始めに京都御所より御下賜された建物。木造寄棟重層造、総桧皮葺。

■尚美館(貴賓館) 明治4422日から東神苑の造営がはじめられ、明治455月から御所にあった京都博覧会の中堂が平安神宮貴賓館として移築。大正2年に完成して尚美館と名付けられた。

■平安神宮会館 平安神宮御鎮座70年・孝明天皇100年祭を記念して竣工された平安神宮会館。東神苑南側栖鳳池畔に神苑の景観に配慮して、外観は宮殿建築の優美さを取り入れた風雅な和風形式。ロビー全体に施された窓からは、ひときわ風情のある広大な神苑が見渡せる。

時代祭 1022日の平安神宮の例祭。京都三大祭の一つ(他に葵祭・祇園祭)で、桓武天皇が平安京に入られた延暦13(794)1022日を記念する行事。明治28年の平安遷都1100年祭から行われるようになり、この祭の特色は、平安時代から明治までの風俗行列で、約2,000人が各時代の衣装で風俗絵巻を繰り広げる。近年、室町幕府執政列が追加された。

全市民奉仕の「平安講社」時代祭行列は、京都全市域からなる市民組織「平安講社」(11)によって運営されています。当初は6列、人員500名の規模でしたが、現在では明治維新時代、江戸時代、安土桃山時代、室町時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、延暦時代の8つの時代を20の行列に分けて1列ずつ担当しているほか、江戸時代婦人列、中世婦人列、平安時代婦人列は京都の5花街が輪番でご奉仕されるなど、総勢で約2000名もの人々が参加する一大行列となっています。

甦る京都一千年の文化 また、1万2000点にもおよぶ調度、衣裳、祭具は綿密な時代考証が重ねられ、京都が1000年の間、都として培って来た伝統工芸技術の粋を集めて復元された本物で、まさに生きた時代絵巻が繰り広げられるのです。

遥かな「平安」の祈り この祭りの真の意義は、この壮大な行列が神幸列にお供する祭列であるということです。つまり平安神宮のご祭神、桓武天皇と孝明天皇のご神霊に京都市中を巡行していただき、市民の暮らしぶりを親しくご覧いただく事と、京都全市民が心を一つにゆくさきの平安を祈る祭礼、それが時代祭なのです。 

□平安神宮放火事件 1976(昭和51)16日、火災が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。ただし、外拝殿である大極殿は延焼をまぬがれている。全国からの募金により、本殿や内拝殿は3年後に再建。この火災は、後に日本の新左翼活動家加藤三郎の犯行と判明した。

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