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【長谷寺】《真言宗豊山派総本山》0744-44-7001

長谷寺の冬牡丹 2012年1月23日

長谷寺の紅葉 2010年11月

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 727年、天武天皇の勅願によって徳道(とくどう)上人が十一面観音を祭って一寺を創建したのが現在の長谷寺の始めと伝える。創建以来、十数回の火災にあったが、朝廷や豊臣秀長などの加護もあってそのつど復興された。江戸時代には徳川家の厚い帰依をうけて興隆したが、明治初年の大火で、本堂を除き焼失した。寺宝類は多く、国宝・重文を含め約千点にのぼる。西国三十三所第8番札所として、全国に末寺三千余ヶ寺、檀信徒はおよそ三百万人といわれている。

登廊 登廊からの白梅 紀貫之・故里の梅

本堂[国宝] 懸造(舞台造)1650(慶安3)、三代将軍家光の寄進によって再建されたもので、平成16年には国宝に指定。我が国における観音信仰の中心的な役割をはたした重要な建築。間口、奥行きとも9間の本瓦葺。正堂(内陣)と礼堂(外陣)をひとつにした双堂と呼ぶ様式で、間に石敷の土間(拝所)を設ける。南面は豪快な入母屋造だが、屋根の構成は複雑で八棟造りとも呼ばれている。

十一面観音立像[重文] 像高1,018.0m、漆箔(しっぱく)寄木造(よせぎづくり)。室町末期1538年の大仏師運宗らによる造立で、我が国で最も大きな木造の仏さま。普通の十一面観音像と異なって、右手に錫杖(しゃくじょう)をとり、岩座の上に立っている。本堂の中で、自然の岩石の上に立っている仏像は、類がない。

◆雨宝童子立像[重文] 木造、像高116.0cm、本尊に向かって左脇侍。初瀬山を守護する八大童子のひとり、また天照大神としても信仰。大仏師運宗らによって本尊と共に造立され、像内には多くの納入品が納められていた。

◆難陀龍王立像[重文] 木造、像高167.7cm、本尊に向かって右脇侍。本尊造立の際に影向した八大童子のひとり、また春日明神としても信仰。1316(正和5)に大仏師舜慶らによって造立。像内には多くの納入品が納められていた。

◆内陣壁画 本尊が安置されている内内陣は両側面に板壁、前面に扉があり、巨大なお厨子のよう。板面には観世音三十三身、四天王像、扉には十二天像、そして後壁には二十五菩薩来迎図がいずれも極彩色で描かれている。

■五重塔 昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、昭和の名塔と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。

登廊[重文] 平安時代の1039(長歴3)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、108間、399段、上中下の三廊に分かれている。下、中廊は明治27(1894)の再建で、風雅な長谷型の灯籠を吊るしている。

仁王門 長谷寺の総門で、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門である。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。現在の建物は明治27年(1894)の再建。「長谷寺」額字は、後陽成天皇の御宸筆。

■本坊 事相、教相の根本道場である大講堂や書院などがある。1667(寛文7)徳川将軍の寄進で建立、明治44(1911)炎上。現在の堂宇は大正13(1924)に再建。総檜造りの大殿堂で、平成24年、奈良県指定有形文化財に登録。

■宗宝蔵 長谷寺六坊の一つ、清浄院跡地に建つ。春と秋に開扉して長谷寺に伝わる国宝・重要文化財等の宝物公開を行っている。春期:3月〜5/秋期:10月〜12月に開館。

◆その他の国宝 銅板法華説相図・法華経安楽行品・蒔絵経箱等がある。

◇長谷寺の牡丹 牡丹が当山で栽培されるようになったのは、今より一千年余の昔。唐の僖宗(きそう)皇帝の妃、馬頭夫人(めずぶにん)が、遠く海を越えた大和国長谷寺十一観世音に願いをこめて祈願したところ、その願いが叶い、御礼として十種の宝物に牡丹をそえて 献上したことに起因すると寺伝に記す。それ以来、数多くの篤信者の御献木により今もなお一千年の粧を保たれている。

牡丹祭 4月下旬〜5月中旬。約1507000株のボタン。

初瀬詣 平安時代、観音信仰が流行、観音さまの中の観音と思われていた、長谷寺は、天皇の行幸や寄進があいつぎ、摂政や関白の参詣は年中行事化するようになる。初瀬詣は、『源氏物語』『枕草子』『更級日記』『蜻蛉日記』『今昔物語』など、多くの文学にとりあげられた。

高浜虚子の句碑 『花の寺 末寺一念 三千寺』

◇西国三十三所巡礼 一説に奈良の長谷寺を開いた徳道上人によってはじめられ、その後、花山法皇の中興を経て広がっていったものと伝える。 霊場が三十三所に定められたのは、『法華経』普門品(ふもんぼん)(観音経)に説かれる、観音菩薩が三十三の姿をあらわして衆生を救済するという三十三身(さんじゅうさんじん)の教えに基づくと考えられる。当初主に僧侶の修行の一つとして行われたと考えらるが、霊場への信仰が浸透するにつれ民衆にも広がり、室町時代には巡路が確立し、庶民による参詣が行われる。江戸時代には旅や社寺詣での流行ともあいまって娯楽的な要素が加わり、多くの参詣者で賑わうようになった。

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