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【般若寺】《真言律宗》0742-22-6287
654年、孝徳天皇の病気全快を祈って蘇我日向臣が伽藍を創建したと伝え、さらに聖武天皇が官寺として堂塔を造営。鎌倉時代に西大寺の叡尊が復興したが、文禄の兵火で楼門を除く主要な堂宇を失った。春はヤマブキ、秋にはコスモスが咲き誇る。
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■楼門[国宝] 二層入母屋造、本瓦葺の鎌倉建築。二階は一階と対照的に軒裏に複雑な組み物を使い、雄大に軒を反り上げる、個性的な四脚門。中世建築の傑作の中でも注目に値するという。
◆十三重石塔[重文] 我が国最大級の多重石塔で、高さ14m、1253年、宋人伊行末(中国宋の石工)が造立。花崗岩製、相輪は昭和の模造。
◆文殊菩薩騎獅像[重文] 本堂に安置。像高45.5cmの精緻な鎌倉彫刻。
■宝蔵堂 十三重石塔の旧相輪や多数の塔内納入品、嵯峨天皇宸筆と伝える扁額や、護良親王伝説の※唐櫃など多数の寺宝を展示。公開日は4月29日〜5月10日、10月26日〜11月10日のみ。
※唐櫃→元弘の乱で護良親王は鎌倉幕府の軍勢に追われ、当寺の唐櫃に身をひそめて賊手を逃れたという。
◆笠塔婆[重文] 伊行末の子行吉が父母の供養のため造立。高さ5m、花崗岩製で2基。
◇奈良坂 奈良坂は平安時代後期以降、病者(癩病など)・乞食・非人の集住地となっていた。般若寺の南西の野は、般若野五三昧とよばれる奈良都市民の葬送の地で、奈良坂に住む人々は都市民の遺骸を運搬・埋葬する葬送の仕事をしたり、奈良の町で乞食をしたりして生計を立てていた。叡尊が般若寺を再興したのは、これらの人々の救済と深い関わりをもっていたと思われ、また、彼らは文殊菩薩の化身であると考えた。
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