京都観光タクシー同友会の観光案内
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※木曽義仲と芭蕉の墓で有名。寺伝によれば、この地に果てた木曽義仲の小さな塚に愛妾巴御前と思われる美しい尼が読経に通い、後に傍らに結んだ庵に始まるとされる。1553(天文2)年、近江源氏佐々木氏が同じ源氏の将軍として寺を建立したという。景勝の地であったために、芭蕉はこの寺を再々訪れ、遺言によりここで眠る。芭蕉自筆の“行春をあふみの人とおしみける”また辞世の“旅に病んで夢は枯野をかけめぐる”など、境内には芭蕉らの19におよぶ句碑がある。
※木曽義仲(1154〜84) 平安末期の武将で頼朝の従弟にあたる。1180(治承4)年以仁王を奉じ、平氏追討の兵を挙げ入京。頼朝・平氏とともに全国を三分したが、後白河院と反目、頼朝や義経の手により粟津で今井兼平とともに敗死。
■翁堂 正面の祭壇に芭蕉像を安置し、東西の壁には36人の俳人の画像が並んでいる。
■無名庵 翁堂の左の書院、寺伝の尼が“名も無き者”と里人に素性を隠した言葉に由来し、藁葺のささやかな庵であったところに芭蕉が逗留、月見の宴を楽しんだ。
◇時雨忌 11月第2土曜。芭蕉の命日。
【瀬田の唐橋】
「唐橋を制するものは近畿を制す」といわれた橋。東の国から京の都へ入る関所の役割を担う地で、軍事や交通の要衝であったことから、壬申の乱・承久の乱・元弘の乱など多くの戦乱で幾度も焼き落とされてきた。1575(天正3)年織田信長によって現在の位置に移され、それ以降も幾度も架け替えられている。現在の橋は、昭和54年、鉄筋コンクリート造りだが、旧橋の擬宝珠が欄干に取り付けられ、昔の面影を残している。近江八景の一つ、勢多の夕照。
■瀬田橋竜宮 百足退治伝説で有名な俵藤太秀郷を祭る。瀬田の唐橋を通りかかった俵藤太が、瀬田川にすむ竜神に、三上山を7巻半という大百足の退治を頼まれ、みごと射止めるという話が伝わる。
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