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【円光寺】《臨済宗南禅寺派》075-781-8025
1601年(慶長6)、徳川家康が関ヶ原の戦役後、伏見城に近い指月の地に学問所をひらき、元佶三要和尚を招いて校主としたのが起り。元佶和尚は下野国(栃木県)足利学校の僧で、徳川氏創業のはじめより家康の知遇をうけ、畿内社寺の訴訟を公聴し、また学問をすすめた。家康は朝鮮文書二百部・日韓の書籍ならびに木製活字十万の管理にあたらせ、世に円光寺版または伏見版とよばれる多くの書籍を刊行せしめた。この木活字は朝鮮役に際して輸入されたもので、わが国印刷文化史上、特筆されるべき寺といえる。
のちに、相国寺山内に移り、1667年(寛文7)現在地に移っている。その後は南禅寺の尼寺となって、本堂東の禅堂は尼僧の修行道場として有名であったが、近年尼寺をやめ現在は南禅寺直轄の寺院となっている。
山門 | 枯山水奔流庭園 | 水琴窟 |
書院より | 紅葉 | 青モミジ |
京都市中を臨む | 徳川家康の墓 | 村山たか女の墓 |
■本堂 本尊・千手観音坐像を祀る
◆庭園 十牛の庭といい、洛北で一番古いとされる栖龍池があり、紅葉の頃には絶景。11月は紅葉のライトアップを実施している。
◆寺宝[重文] 絹本著色元佶和尚像(桃山)・紙本墨画竹図屏風(円山応挙筆)・伏見版木活字(現在5万2320個)(桃山)
◆村山たか女の墓 彦根藩城下の三味線師匠で、和歌を詠み、漢籍にも通じた才女。彦根藩士で国学者の長野主膳の愛人。やがて藩主井伊直弼が黒船渡来に始まる幕末の危機に幕府大老に起用されたのに伴い、長野主膳は井伊直弼の懐刀となって活躍。この幕末の時期に、たか女は、長野主膳の意をうけて京都などで尊皇攘夷派の情報を収集する活動をはじめる。尊皇攘夷急進派の天誅組に捕えられ、京都三条河原で三日三晩の生き晒しにされたが、救出され、金福寺で尼となる。
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