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叡福寺(えいふくじ)聖徳太子御廟】《真言宗系単立》0721-98-0019

 聖徳太子がこの地を自らの(びょう)と決め、推古(すいこ)28年(620年)に墓所を造営。翌年、太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、さらに622(推古30)年には太子と(きさき)膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られ、三骨一廟とよばれている。同年太子の没後、推古天皇が陵墓(りょうぼ)を守るために寺を建立、その後、聖武天皇の勅願により、724(神亀元)年、東の伽藍を転法輪寺、西の伽藍を叡福寺とする七堂(しちどう)伽藍(がらん)が整備された。平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場となり、空海や親鸞、日蓮など多くの高僧も訪れる。戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより全焼、その後、豊臣秀頼により聖霊殿が再建され、以後次第に再建整備が進む。また、叡福寺は「上の太子とよばれ、」「中の太子」は羽曳野市野々上の野中寺、「下の太子」は八尾市太子堂の勝軍寺。「太子まいり」と呼ばれ親しまれている。

聖徳太子廟

多宝塔(たほうとう)[重文] 1652(承応元)年建立。内部には釈迦尊像や大日如来像等を安置、柱には四天王像が描かれている。拝観は出来ない。

■金堂 1732(享保17)年に再建されたもの。「金堂」には本尊の如意(にょい)(りん)観世音菩薩が厨子(ずし)の中に座ったお姿で祀られている。厨子の横には四天王と不動明王、愛染明王が立つ 。

聖霊殿[重文] 現存の建物は後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が1603(慶長8)年に再建。本尊は聖徳太子十六歳の等身像。この像は宮中にあったものを1187(文治3)年に後鳥羽天皇により下賜されたものという。

二天門 慶長8年(1603年)に再建。

■聖徳太子廟 宮内庁の管轄なので門に紋がある。丘陵を利用した円墳で、高さ7.2m経54.3m、内部は横穴式石室。正面、扉の上には阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額がかかっている。この額は叡福寺の玄雅が1746(延享3)年に寄進したものとされ、三骨一廟の意味を表しているという。

見真(けんしん)大師堂 他の堂宇と同じ慶長8年(1603)に再建後、現存の建物は1912年(明治45年・大正元年)に再建。聖人自身が刻んだといわれる親鸞聖人の坐像が祀られている。

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