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【大将軍八神社】《祭神・素戔鳴尊》075-461-0694

 古来、方除けの神として知られ、古くは「大将軍堂」と呼ばれた。社伝によれば桓武天皇が平安京遷都にあたり、王城鎮護のために大和国春日より勧請し、京都の四方に営まれた大将軍社の一つというが、確証はない。他に、東は東山三条下ル西入ル、北は西賀茂角社(すみやしろ)町、南は藤森神社境内に鎮座する各大将軍社といわれている。大将軍信仰は陰陽道の発達にともなって次第に発展し、1178(治承2)、高倉天皇の中宮・建礼門院は安産祈願のため、この社に勅使を派遣されたことがあり、平安末期には朝野の崇敬を得ていたことが知られる。中世には祇園八坂神社の支配をうけるに至る。応仁の乱で焼失し、再建される。

◇大将軍とは 陰陽道にいう西方の星(宵の明星)をいい、吉凶をつかさどる方位の神として崇敬された。これが神道と習合して素戔鳴尊となり、仏教と習合して牛頭天王となった。

■社殿 現在の社殿は昭和8年の建立で、本殿と拝殿とをむすぶ権現造となっている。

◆祭神 祭神は古来の日本の神ではなく大将軍一神を祀っていたが、明治時代に「神仏分離令」によって 神道を国教とし現在の形「素戔鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」となり、御子八神と暦神の八神が習合して以後社名は「大将軍八神社」という。大将軍堂は1340年から約100年の間祇園社(八坂神社)の管理下にあり、八坂神社の祭神が素戔鳴尊であり、その神格が大将軍神と似通っている事から関連付けられたと思われる。

■収蔵庫 昭和50年竣工、鉄筋コンクリート造り、三階建。収蔵庫に納める木造大将軍神像79[重文]は、明治初年、境内の竹藪の洞穴から発見されたもので、いずれも丹彩色が施され、疫神的性格をよくあらわしている。わが国神像彫刻史上、特異なものとして著名である。

 なお古くから宝船の版木があり、京都三十六古版の一つとされている。

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