【漬物(つけもの)】
漬物老舗・近為店頭(食事・お茶漬け) |
きらら漬・穂出野店頭 |
きらら漬 |
◆漬物の歴史
塩を使う以前に、海水を利用した漬物が作られていた。これらの薄い塩水につけた漬物は、たちまち乳酸発酵をおこすので、その頃のものは、酸味の強い漬物であったに違いない。野菜に海水を加えれば薄味の漬物(浅漬け)ができる。野菜を海水につけて干す、これを繰り返せば、塩がなくても保存のきく塩辛い漬物ができる。奈良時代後期から平安時代にかけては酒粕や味噌、酢漬けやしょうゆ漬けなどさまざまな漬物が登場する。鎌倉時代、野菜を漬物の風味で味わうことが禅宗などの精進料理で始まり、さらに室町以後、茶の湯、聞香の発達に伴って盛んに賞味されるようになった。聞香のさい味覚や臭覚を新たにするために食したともいわれており、漬物は禅宗のお寺で大いに発展し、庶民の食生活に大きく影響した。
◆香の物、香とは味噌!
『香の物』という言葉は、室町時代のころから。禅僧の間で味噌漬けが好まれ、味噌が、香りが高く、異名を「香」と呼ばれていたところから、『香の物』の名が起こった。やがて味噌漬け以外の漬物にもこの名が用いられるようになり、新つけものが現れるに至って「新香」とも呼ばれるようになった。また、足利義政のころ、香合わせの席で口取りとして菓子代わりに、漬物が出されたことから、香の席のもの、つまり『香の物』になったともいう。
◆漬物発祥は萱津(かやづ)神社!
京都から一宮、名古屋に通ずる道に漬物祖神・萱津神社がある。昔、この地方は海辺で塩がとれ、野菜の産地でもあり、塩と野菜が毎年、産土神・萱津神社に奉納されていた。しかし、あまりたくさん奉納されるので、もったいないと、塩と野菜を甕に投げ入れておいたところ、自然においしい漬物になった。付近の人々はこの不思議で、風味豊かで保存のよい食べ物を、神の賜り物、「神の物」が「香の物」に転じたともいわれている。しかし、前項にもあるように、「香の物」の語源は、室町時代、京の都に発しやがて江戸に広がったとみられる。
◆しば漬はおはぐろによい?
京都特産の塩でつけた漬物。洛北・大原の自家用の漬物であったが、御歯黒によいとされて一般に普及した。壇ノ浦で平家一門が滅亡した後、清盛の娘、高倉天皇の中宮、建礼門院が寂光院で仏門に帰依し、悲しみの余生をおくっていたところ、それを慰めようとして近所の人達が、自家製の漬物を献上したところ、建礼門院はこれを大変気に入って、「紫葉漬け」と名付けたと言われている。
◆すぐき漬は乳酸発酵!
京都の漬物の中でもっとも古いものといわれており、すぐき菜と塩だけで漬け、乳酸発酵によって独特の酸味とあまさを感じさせる上賀茂特産の漬物。1月〜3月までの農閑期に、農家が自家用に作る保存食。または、上賀茂神社の社家に代々伝えられてきた漬物ともいう。明治26年の深泥池の大火以来、村の再建にと地域外に売り出されたのが始まり。すぐき漬の特徴は、テコを利用したテンビンで圧力をかけ、そのあとに『むろ(室)』を使うこと。『むろ』は三畳ぐらいの広さの室で、火や電気で室温を40℃に保ち、蒸らして乳酸発酵をうながすことにある。『むろ』が開発されたのは大正初期、それまでは冬から春への気温の上昇による自然発酵によったが、自然では商いに間に合わなくなった。
◆沢庵和尚が『たくあん』を!
大根は他の野菜と違い細長く堅いので、生のままでは漬けにくく、まず干さなければならない。干すことによって堅い大根が柔軟になり丸い容器である甕に漬けやすくなる。最初は糠を使わないたんなる塩漬けとして「大根漬け」といっていた。大根の糠漬けを「たくあん」というのは、江戸時代、白米食が普及し、米糠が出回ったので、大徳寺住持・沢庵和尚がこれに目をつけ、大根漬けを大根の糠漬けに改善したといわれている。沢庵和尚の墓石が漬物石に似ているのは、たくあん漬けが和尚によるところから、死後、その功績を讃えたことからと思われる。沢庵和尚は漬物に造詣が深かったようである。
◆きらら漬
比叡山へ登る雲母坂の茶店で漬けた甘辛い漬物。一口大の茄子を塩漬けにし、さらに麹味噌に漬け直して作る。江戸時代、280年前に公家の鷲尾家に仕えた田辺家がこの地を賜り、番所のかたわら開いた茶店に、田辺治助が考えた、この漬物を置き、比叡登山の人々に食べさしたといわれている。
◆菜の花漬
松ヶ崎の伝統漬物。松ヶ崎から北白川にかけて、米の裏作として昔から麦と菜種を栽培していた。菜種は油をとるため。花のつきを多くするため、一番花を摘んでいたのを、もったいないとの考えが働いて、漬け込んだのが始まりといわれている。
◆木の芽煮(きのめだき)
鞍馬の「木の芽漬」は室町時代からのもので、山間の村民が山椒の花芽、フキなどを塩漬けにして食べていたもの。「木の芽煮」は、新たに昆布、山椒の葉などを加えて佃煮風に作られたものをいう。ちなみに、京都では煮ることを「たく」といい、『きのめに』といわず『きのめだき』という。
◆千枚漬けの歴史は意外に浅い!
千枚漬けの歴史は意外に浅い。御所の料理人である大藤藤三郎が1865年、聖護院大根で千枚漬けを開発した。藤三郎は御所の中で同じものを作ってお公家さんに絶賛されていたが、御所からひまをもらって、千枚漬けの改良加工に全力をあげた。当初は聖護院大根を使っていたが、のちに粘りのある聖護院かぶらに変えたという。千枚漬けに入っているのはかぶらの葉ではなくミズナの葉。かぶらの葉はかたくて漬かりにくい。白い平地に縁起のよい御所の松を添えるという意味があるらしい。
◆梅干し、鑑賞から薬用へ
梅は最初、漢方薬として中国大陸から持ち込まれた。やがて奈良時代には盆栽用の花木として梅が入り、庭木などにも植えられたが、これは花を鑑賞するためのもので、薬用、食用、調味料として用途が広がる。梅の栽培が普及するのは、鎌倉から室町時代。梅干しを紫蘇で赤く着色する手法もこのころからとされている。戦国時代、梅干しは野戦の食生活、薬用にきわめて貴重な存在であった。水戸偕楽園の梅、紀州、田辺の梅などは、いずれも城主が戦時に備えて奨励した梅である。
◆福神漬けとカレーライス
福神漬けは幕末の頃、上野の茶店の主人・野田清右衛門が発明した。いろいろな野菜が入っていることから、七福神にちなんで「福神漬け」と名付けられたという。大正の頃、移民などの外国航路の船旅でカレーライスの付け合わせに福神漬けを出したところ、好評であった。たまたま船客となった大阪の実業家・小林一三の認めるところとなり、昭和の初期に、阪急デパートの食堂の開店にあたり、カレーライスと福神漬けの取り合わせを出したところ、大ヒット。カレーには福神漬けはなくてはならない存在となる。
◆茶懐石と漬物
茶懐石に漬物は欠かせない。そこには必ずたくあんを入れることが決まりごとになっている。懐石の最後は、懐石で使われた、ごはん釜のお焦げと塩で味をつけた香ばしい湯(湯斗)でお茶漬けしながら香の物をいただく。その時は、禅僧の食事と同じように、お椀をきれいに拭うのにたくあんが使われるという。
◆近年の漬物・浅漬
近年は発酵の進んだ伝統的な京漬物とは別に、浅漬に人気が高まっている。浅漬とは、言葉のとおり、漬け込み期間が短い漬物のこと。さまざまな野菜を材料にできることや、柚子、シソ、鰹節、ごまなど多彩な薬味とのアレンジも可能。近年の京都の漬物は、保存食品というよりも、生鮮食品であり、早めに食べるのが、おいしさを味わうコツ。浅漬は漬かったものを洗わずそのまま食べる。
【漬物を科学する】
◆漬かる理由
野菜は多数の細胞から成り立っている。細胞は半透明の膜で、その中は細胞液で満たされている。その細胞液の濃度より「浸透圧」の高い塩漬けのなかに野菜を入れると、野菜の水分が外部の漬液中に浸出して脱水される。野菜は塩漬けによって細胞が死滅し、風味の根源になる細胞内の栄養分が保存され、また、野菜の組織も柔軟になって歯切れがよくなり、食べやすくなる。これが「漬かり」である。
◆微生物のよる発酵
漬物には微生物の発酵作用によって、風味を醸成するものが多い。野菜を薄塩で漬けると数日後には乳酸菌や、酵母類が繁殖して発酵を始める。野菜を塩漬けすることによって細胞が死滅し、細胞内の成分が漬液中に浸出し、これが発酵菌の栄養源となり、漬物の風味が増す。
◆食塩、糖、アルコールの防腐力
食塩の防腐力は主に浸透圧によるもので、殺菌剤や防腐剤のような特殊な防腐力をもつものではない。したがって微量の添加では、防腐剤のような効果はない。保存的漬物の場合は食塩の添加を多くしなければならない。しかし、奈良漬け、福神漬けなどのように食塩を少なくしても、砂糖やアルコールなどの調味料を併用することによって保存性は高められる。糖の浸透圧は低いため、塩やアルコールに比べて極めて多量(約50%)に必要とする。羊羹、ジャムが甘いわけである。
◆塩と酸の共働き
漬物は、塩の保存性を利用したものと、酸の保存性を利用した物に大きく分けられる。塩、アルコール、糖は浸透圧であり、酢漬け類やすぐき、しば漬け、ピクルスなどは酸による。酸は防腐力は強いが多いと酸っぱくて食べられない。ちなみに、梅干しは塩分10%以上、酸を2%以上も含み、浸透圧と酸との両面から保存されるので、何年も腐敗しない優れものである。
◆漬物の今後
塩分の取り過ぎは高血圧、脳卒中、心臓病などの成人病の原因になることが明らかになり、食品の低塩化が大きな課題となっている。漬物は塩で生まれ、塩で育てられてきた。健康によいビタミン等も豊富な漬物は、調味料との併用や、過熱殺菌、冷蔵などの技術により、ますます低塩化の方向に進むものと思われる。
【京漬物の老舗】
【東山区】
◆ニシダや《しば漬》東山通り今熊野東入ル南側/075-561-4740(先代が大原に伝わるしば漬の製法に、一味違った手を加えた)
◆赤尾屋 七条通り本町下ル東側/075-561-3032(300年前から続く老舗。御池神泉苑南側にも支店)
◆野村治郎助商店《からし漬》五条通り問屋町下ル東側/075-561-3565(江戸中期、青物問屋を営んでいたが、明治から漬物専門店となる)
◆東山八百伊 東山松原上ル/075-525-0801(茶懐石の辻留に長年出入りし、厳しい注文に応えてきた店)
◆祇園八百伊 花見小路新橋東南/075-525-0801(創業76年目、料亭やお茶屋からの注文に応えた店)
◆田中漬物舗 東山三条下ル二筋目西入ル/075-561-2928(創業は明治の末、現在4代目)
【左京区】
◆加藤順漬物店 川端二条東入ル北側/075-771-2302(吉兆などの料亭から注文が来る店)
◆大安 岡崎道冷泉下ル東側/075-761-0281(明治35年創業以来、京漬物一筋に大きく発展した店)
◆穂野出《きらら漬》 白川通下り松東入ル3筋目北へ西側/075-781-5023 (創業280年の伝統がある小ナスの味噌漬の老舗)
◆土井志ば漬本舗 大原花尻橋南東角/075-744-2311(しば漬けを昔ながらの味で製造して100余年のしば漬老舗)
◆志ば久《しば漬》 三千院呂川沿いに西へ下る北側/075-744-2226(しば漬けに使うしそは代々伝わる種をまいた自家栽培)
◆翠月《しば漬》 寂光院門前/075-744-2405(ガイドブックによく出ている)
【上京区】
◆田辺宗 河原町今出川上ル西側/075-231-1269(味噌と漬物の製造、100年続く店)
◆野呂本店 寺町今出川上ル西側/075-231-1269
◆おおみや児島 大宮寺之内上ル/075-432-0275(手間をかけた本物の漬物づくりが信条の三代目)
◆本家こじま 千本寺之内下ル/075-461-2277(西陣で創業して80年の店)
◆近為 千本五辻通上ル西側/075-461-4072(老舗の奥座敷で京のぶぶ漬が食べられる)
◆丹波(北野店)《浅漬》 一条天神道東北角/075-462-0107(四季折々の野菜を昆布で漬けた浅漬が人気の店)
【北区】
◆なり田《すぐき》 上賀茂神社前を東へ北側/075-721-1567(すぐき漬けの老舗、300年の伝統をもつ。漬物寿司もある)
◆すぐきや六郎兵衛《すぐき》 上賀茂神社鳥居前/075-721-6669(すぐきを漬けて250年の老舗)
◆長八《醤油漬》 千本今宮通から鷹ヶ峰へ400m東側/075-492-5544(30年前までは農家だった鄙びた風情の漬物屋)
◆大こう本店 北大路建勲神社前東入ル北側/075-493-4649(創業して40年、お寺さんに好まれる風味)
【中京区・下京区】
◆とり市老舗 寺町三条上ル東側/075-231-1508(京の四季の特産品を専門に扱う店)
◆桝a《奈良漬》 富小路錦西入ル/075-211-5346(玄人好みで、料理屋さんに得意が多い)
◆大藤《千枚漬》 麩屋町四条上ル/075-221-5957(幕末に初代の大藤藤三郎が千枚漬を考案した)
◆村上重本店《千枚漬》 四条西木屋町下ル突き当たり/075-351-1737 (千枚漬で高い評価を得ている店で、当代で五代目になる)
◆田中長奈良漬《味醂漬》 烏丸綾小路西入ル南側/075-351-3468(創業寛政元年(1789)、200年の伝統をもつ味醂漬の老舗)
◆川勝總本家《千枚漬》 大宮五条上ル西側/075-841-0131(創業は大正6年、多品種少量生産が特徴)
◆打田漬物店《浅漬》 壬生川旧丹波口東入ル南側/075-371-3195(錦小路にも店をもち、京都の日々の食卓で喜ばれる)
◆西利《千枚漬》 堀川花屋町下ル東側/075-361-8181(西利の千枚漬は総理大臣賞受賞作)
【右京区・西京区】
◆もり 太秦大映通西入ル200m北側/075-872-1515(亀岡の自家農園で有機肥料で育てた野菜を使う)
◆丹波(物集女店)《浅漬》 国道R9千代原口東入ル南側/075-392-6138
【漬物で食事】
◆土井志ば漬本舗 お茶漬け\1,500 /075-744-2311
◆近為 お茶漬け\2,100~/2人以上で要予約/075-461-4072(定休水曜)
◆西利(祇園店) 京の茶漬け等\1,050~/075-541-8181
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