【修学院離宮】
修学院離宮は総面積約54万5千m2(16万5千坪)で、上・中・下の三つの御茶屋で構成された別荘建築。後水尾上皇みずからが設計し、下と上の御茶屋が造られた。中御茶屋は、皇女朱宮の御所として造られ、上皇崩御ののち林丘寺となっていたものを、明治時代に離宮に加えられた。修学院離宮は従来の日本庭園にはみなれないスケールの大きいものである。ドイツの大建築家ブルーノ・タウトは修学院離宮について『眼は見る』とその雄大さを高く評価した。
◆後水尾天皇と徳川幕府
後水尾天皇(108代)は後陽成天皇(107代)の皇子として1596年に生まれ、1611年に即位し在位18年にして突如退位(1629)、院政をとること51年に及び、85歳の高齢で亡くなられた。後水尾天皇は家康の孫、秀忠の娘・和子をわずか6歳で正妻として押し付けられた。和子が東福門院として立后の後、幕府は天皇の外戚という立場を利用、「禁中並びに公家諸法度」を強化するなど、天皇の日常生活まで強い制限を加える政策をとった。そして、天皇在位中に「早く引退せよ」と、仙洞御所(天皇の隠居所)の造営を勝手に始め、天皇は退位を余儀なくされることになる。時に33歳。かくして上皇はその政治的失意をまぎらわせるために仙洞御所にあって詩歌、茶道などの雅遊を催され、趣味の生活に入られるようになる。
◆精力絶倫の後水尾院
後水尾院の実子は32人。皇子15名・皇女17名で江戸時代の天皇の記録としては最高で、51年もの院政をとった歴代上皇は前例がない。その間、明正・後光明・後西霊元とわが子が天皇になるのを見守り、自らを苦しめた家康・秀忠・家光・家綱の四代の徳川将軍の死に立ち会い、85歳の長寿を全う、これも実にその年齢がわかる天皇の中で昭和天皇に次いで2番目にあたる。こうした後水尾院の人生こそが、修学院離宮の雄大さに現れている。
◆修学院離宮の誕生
上皇は退位後10年ぐらいたって仙洞御所の外に理想の土地を求めて山荘を営みたいと強い希望がわいてきたようである。1649年頃、岩倉幡枝に山荘を設けられた。その山荘は、東方の眺望が開けて雄大な比叡山をその庭園の眺めの中に「借景」しており、離宮建造の前奏曲のようであった。後の円通寺である。1655年、皇女梅宮の草庵・円照寺に立ち寄った際、その早春のすばらしい大景観に感動し、この土地こそ長年探し求めてきた山荘の最適地であると着眼されたという。草庵・円照寺は他に移し、1656年上皇60歳の時、修学院山荘の造営に着手3年後に完成する。
◆『眼は見る』雄大な庭園
修学院離宮においても桂離宮の場合と同じように、豪華絢爛の建築や庭園はみられない。上・中・下、三つの御茶屋を結ぶに畦道をもってして、特に上御茶屋によって代表されるその意匠は、自然風景的、田園牧歌的であってすべてが大らかで明るく、視覚的にも気楽に理解でき、人々にわかりやすい。そして、ダムを造り、川をせき止め、巨大な池を造り、堤を大規模な潅木の大刈込みによっておおい、あるいは遠くの山々や森や川を借景として取り込んだ見晴らしの雄大な庭園としてその意匠は高く評価されている。大建築家ブルーノ・タウトは修学院においては『眼は見る』と評している。大建築家の彼でなくとも、その雄大さには感動を覚えることは間違いない。
◆桂・修学院離宮の対比
桂離宮における建築と庭園の表現はすべてが行き届き過ぎて、深い素養と能力があってはじめて理解できる。平凡なものには飲み込めないむずしさがある。一方、修学院離宮は表現が素直で自然風景的であり、田園牧歌的で人々にわかりやすく容易に受け入れられる。両者はほぼ同年代に造営された上、同じ皇族の叔父(八条宮智仁親王)と甥(後水尾天皇)という身内によって造られたにもかかわらず、かたや繊細、かたや雄大といった造形の対比が面白い。しかも、その両方ともが、日本を代表する傑作になり得たのは単なる偶然ではない。
◆幕府と皇族
この研修を通じて、時の権力者豊臣秀吉・徳川家康ならびに幕府と皇族との関係がなんとなく見えてきました。その時代の皇族は政権に翻弄され、政治的失意からか、精一杯の抵抗なのか、雅遊の世界に身を投じなければならない生き方を余儀なくされました。以前、曼殊院を訪ねたとき、そこのお坊さんが、そこの寺をさして「格子なき牢獄」と表現していたことを思い出しました。その「格子なき牢獄」が原動力となり、奇しくも日本民族の文化を代表するような歴史的遺産をもたらしたことは皮肉なことです。
◆建築家ブルーノ・タウト
ドイツを代表する大建築家ブルーノ・タウトは昭和8年(1933)日本を訪れ、桂離宮を絶賛し、その美を世界に紹介しました。桂離宮は外国人の訪問によって初めてその美が発見されたのです。彼の言葉は、桂離宮を『眼は思惟する』とその精神性を高く評価し、また、修学院離宮を『眼は見る』とその壮大さを評価しています。一方、日光東照宮を『眼はもう考えることができない』と酷評しました。今回、研修するにあたって、西洋の大建築家の至言を少しでも確かめることができればと思います。
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