【お茶・宇治茶】について
宇治・三室戸寺周辺の茶畑 |
宇治田原町の茶畑 |
茶畑の扇風機(宇治田原) |
永谷宗円生家 |
茶宗明神社 |
永谷園本舗・永谷武蔵顕彰碑 |
◆宇治茶は800年の歴史
今から約800年前、鎌倉時代の初期、臨済宗の開祖・栄西は中国からお茶の実を持ち帰りました。そのお茶の実を栂尾高山寺の明恵上人がもらい受け、宇治の地にまいたのが、宇治茶の起源だといわれています。
◆お茶の種類
【玉露】覆いをした茶園で摘まれた新芽を蒸した後、揉みながら乾燥させ作る。茶園には煎茶の3倍位の肥料を与え、茶摘みは1芯5〜6葉くらいまで手摘みで作る。1芯2〜3葉を摘んで作った玉露が特上の玉露となる。
【抹茶】玉露と同じような茶園での新芽を使うが、蒸した後、揉まずにそのまま乾燥させる。それを「碾茶」と言い、この「てん茶」を臼でひいて粉末にしたものが「抹茶」。抹茶の茶園では、ただ年1回の茶摘みで、秋頃になると茶の枝が1メートル近く伸びてしまう。
【煎茶】茶園には覆いをせず、直射日光の下で伸びた新芽を蒸した後、揉みながら乾燥させて作る。煎茶の茶園では、年2〜3回茶摘みが行われ、その大部分はハサミ摘みとなっており、茶畑は半円形の畦が整然と並ぶことになる。
【番茶】硬めのお茶の葉で作る。三番茶の茶摘みの後に、残った茶の枝を整枝のため刈り取る(秋番茶)、また春の一番茶を摘む前に、一番茶の芽を摘み易くするために摘んだもの(春番茶)、などから製造したもの。春番茶は冬を越してきている茶の葉なので、芽の中の成分が蓄積されており、「番茶もでばな」の所以。
【焙じ茶】番茶を「ほうろく」や「フライパン」などで、少し煙の出るくらいまで炒って作る。この方法は、煎茶などで少し古くなったものでも焙じて美味しく飲むことができる。
【紅茶、烏龍茶】生の茶葉に自然に含まれる酵素で茶葉のタンニンを100%酸化させたものを発酵茶といい、そのために製品が緑色ではなく褐色となって、紅茶がこれにあたる。烏龍茶は発酵の程度が半分位の半発酵のお茶。酵素の働きを、最初から一切停止させ、緑のままに作るのが緑茶であり、不発酵茶。
◆茶の木について
茶の木に「緑茶の木」とか「紅茶の木」とか言って、別々の木があると思っている人がいますが、茶の木はただ一種で、製法によって緑茶、紅茶、烏龍茶になる。植物分類学的にみると、大きく分けて中国型とインド型に分けられる。
◆茶畑の形について
茶の木は、自然のままにしておけば背が高くなり過ぎ、葉を摘むのに木によじ登らなければならない。茶の木の枝を途中で切ることによって枝数が多くなり、また枝の表面を半円形にすることで、茶摘み面積を広くすることができる。茶畑の畦仕立ての形は、容易に茶摘みができるように工夫された形。
◆茶畑に扇風機はなぜ!
茶畑にある扇風機は「防霜ファン」といって、新茶の時期に一番茶を霜害から守るためのもの。霜害というのは、冷えた空気が早朝に茶の葉の表面に水分を結晶させて霜がつくもので、一番茶の大敵であり、防霜ファンはそれを防ぐ。
◆永谷園の本家は茶の歴史を塗り替えた
江戸時代以前は「お茶」と言えば、「抹茶」が主流。しかし、今から270年程前1738年に宇治田原町に住む、永谷宗円が「湯むし製法」を考案、「宇治製煎茶」が誕生。宗円は当時、茶商として名をはせていた江戸・日本橋の山本嘉兵衛のもとに持参。その美味に感嘆した嘉兵衛が、江戸市中に宗円茶をひろめた。その山本家は、「上から読んでも下から読んでも」で知られる山本山の旧名。「お茶漬け」でもおなじみの永谷園の創始者は、宗円の分家出身の故永谷武蔵。宗円は現代茶文化の租と呼べるかもしれない。
◆古来、お茶はかじるもの!
古来、中国のお茶は、葉を蒸してチョコレートのように圧し固めたもので、これを磚茶と言った。「磚」はレンガという意味で、このレンガ状のお茶を削って、細かく粉に挽いて食べた。喫茶はお茶を飲むことをいうが、喫は本来かじるという意味。レンガ状の磚茶をかじったから、喫茶と言った。
◆お茶の渡来の本当の理由
お茶は伝来以来、仏教と深く結びついて発展してきた。その理由は座禅をはじめとする修行の大敵である「眠気」を払うカフェインの効用ではなかったかと考えられる。世界中で千年以上も飲み続けられている、茶、コーヒー、ココアに共通する成分は、カフェイン。
◆寿司屋では煎茶
煎茶は緑茶の中でもっともタンニンの含有量が多く、そのタンニンには消臭効果や抗菌作用が強いので、寿司の主材料である生鮮魚貝類の消臭と食中毒の予防になるから寿司屋では煎茶を出す。
◆お茶を飲む前にお菓子
お茶の成分のタンニンは胃液の分泌を促進する。空腹時に濃いお茶を飲むと、胃の中で分解するものがないのに、胃液がどんどん分泌されムカムカする。お菓子などの糖分は一番早く胃で分解されるので、お茶をいただくときは最適。
◆茶碗で飯を盛る!
茶碗は煎茶あるいは抹茶用であったのが、米飯あるいは粥など入れる食器として一般的に使われだしたのは江戸時代末期で、それまでは木椀を使用。現在のように陶磁器製のものが通常の茶碗となったのは比較的新しいこと。このようなことだけではなく、茶の湯の発達は、日本人の食文化に大きくかかわっている。
◆普茶料理について
中国風の精進料理。宇治万福寺の開祖、隠元禅師がもたらしたと伝えられている。禅宗寺院の茶礼(禅門の行事のとき、全山の僧が一堂に集まり、茶を飲みながら、協議すること)に赴く「赴茶」という言葉が、普茶になったとも言われている。飲食の平等を建前としており、料理は大皿で、汁は大椀で、各自が取り皿に盛り分けて食べる食事作法にその精神がみられる。
◆茶壷道中について
江戸の将軍家が用いる宇治茶を運ぶため、幕府派遣の役人が茶壷を仕立てて宇治から江戸まで往還。その道中行列が神聖視され、沿道住民が畏怖して一行の通過を見守ったという。「茶壷に追われてトッピンシャン抜けたらドンドコショ」という童謡は、そのときの庶民の情景。
◆お茶の産地について
茶の生産地で最大は静岡県。静岡県は全国の44%余りを生産し、続いて鹿児島県が25%です。宇治茶は全国の3%しか生産していない。我々が日ごろ宇治茶といって飲んでいるお茶は、特上以外どこで生産されたお茶か実に怪しいもの。玉露の生産地は八女茶(福岡)が全国の50%、宇治茶が30%。抹茶については、西尾茶(愛知)が全国の70%で、次に宇治茶が続く。
【村上茶】(新潟)味丸く、渋みの少ないお茶。
【久慈茶・猿島茶】(茨城)香り高く、味が軽いお茶。
【狭山茶】(埼玉)関東最大の茶産地。煎茶がほとんどで、味も香りも濃く強い。
【静岡茶】(静岡)日本最大の茶産地。全国生産量の約半分を占める。
川根茶、天龍茶、本山茶、中遠茶、沼津茶、富士茶等の煎茶。
志田茶は良質の玉露。
【西尾茶】(愛知)抹茶の生産量は全国の7割。色鮮やかで甘みとコクがある。
【白川茶】(岐阜)上級煎茶の産地。香味が豊か。
【伊勢茶】(三重)静岡、鹿児島に次ぐ大産地。
【近江茶】(滋賀)朝宮茶、土山茶、政所茶が有名。香気のよさ、滋味が深い。
【大和茶】(奈良)宇治茶より歴史が?煎茶は独特の香りがあり、上品。
【阿波茶】(徳島)阿波晩茶は特異な製法をもつお茶で有名。
【碁石茶】(高知)阿波晩茶と似た製法で、碁盤の目のように角切りしたお茶。
【八女茶】(福岡)玉露の生産量は50%で日本一。味が濃く、甘味が強い。
【嬉野茶】(佐賀)中国式釜炒り茶を生産。玉緑茶は独特の味と香り。
【日向茶】(宮崎)地元消費が多い。
【肥後茶】(熊本)釜炒り茶が主。玉緑茶は香味も味も優れた名品とされている。
【薩摩茶】(鹿児島)島津藩が宇治製法を導入して盛んに。生産量は全国2位。
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