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京都観光タクシー同友会/京都観光タクシードライバーの小噺

【一口(いもあらい)

一口(いもあらい)前川堤の桜
一口(いもあらい)前川堤の桜

◆難しい京都の地名の代表格。三方が沼(巨椋池)で、一方しか入口がなかったため「一口」というが、なぜ「いもあらい」と読むのかよくわからない。宇治や京都への水上交通の入口であったため、都への疫病・穢瘡(疱瘡)の侵入を防ぐためのお祓い所があり、穢瘡(えも→いも)を洗い流す所だったのではないだろうか。

◆東京神田に「一口坂」という地名が残っていて、その近くに「太田姫稲荷」がある。その社伝には、太田道灌の娘が疱瘡にかかったとき、山城国一口の稲荷をこの地に祀ったと伝えており、そのことから「一口坂」という地名が残ったようだ。しかし、ただ単に「一口」で芋を洗っただけの由来かもしれない。

巨椋池は昭和8年から昭和16年にかけて、干拓がおこなわれ、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖であったが、干拓後は農地となった。一口は、漁村から農村に生まれ変わった。前川堤の桜は、昭和40年頃に植樹され、洛南では、もっとも有名な花見の名所となっている。

◆国営干拓事業は1933年()1941年()行われ、巨椋池は干拓され農地になった。干拓後の農地における用水利用を考慮し、池の底部を小倉堤や池に点在した島で埋めた程度で、ほとんどがポンプを用いた排水によって干拓された。なお、干拓前の巨椋池は東西4km、南北3km、周囲約16km(水域面積約800ha)であり、平均水深は90cmであった。

◆干拓によって、634haの干拓田ができ、あわせて周辺の1,260haの既存耕地の改良が行われた。干拓地の農地は近鉄京都線(当時は奈良電気鉄道)を基準として区割りされたことから、周囲の条里制の区割りとは異なっている。

1953年(昭和28年)に大洪水が起こり、宇治川の堤防が決壊した。これに伴って干拓前の巨椋池全域を含む広い範囲で浸水し、干拓地に巨椋池が「復活」する災害が起こった。これを契機に天ヶ瀬ダムが造られ、1964年(昭和39年)に完成した。

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