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京都観光タクシー同友会/京都観光タクシードライバーの小噺

【芋(いも)】について

くづ切り・鍵善良房
一口(いもあらい)前川堤堤の桜
わらび餅・文の助茶屋(八坂通)

◆いもとは
 植物の肥大した地下茎や根を「いも」と総称している。地下茎が肥大した塊茎はサトイモ、ジャガイモ、クワイ、コンニャク、根が肥大した塊根はサツマイモ、クズ、根と地下茎の中間的な性質のものはヤマノイモ、ナガイモ。日本在来の芋はヤマノイモ、サトイモ、クズでこれ以外の芋はみな外来種。「いも」といえば東北地方ではヤマノイモを、本州や四国の大部分ではサトイモを、九州ではサツマイモを、また、北海道ではジャガイモを意味している。

◆いもの語源
 昔、古語で女子のことを「いも()」と呼んでいた。サトイモにこいもが多くつくところからきたものとされている。ちなみに、センスのない女子に対して現代でも「いも」というときがあるが、古語の古臭いイメージがその容姿と関連づけられたものと思われる。「いも侍」のいもは江戸の武士が、サツマイモの産地、薩摩藩の侍のことを呼んだもの。

◆さといも《里芋》
 いもの語源からわかるように、子孫繁栄を象徴としてサトイモは、正月料理や多くの年中行事の縁起物として、祝い料理には欠かせない。一般にサトイモといわれているのは子いもを食べる種類のもの。親芋を食べるのは、8つのこぶをもつヤツガシラ、京料理のいもぼうに用いられるエビイモ、京芋など。栄養は芋類の中ではカロリーが低く、サツマイモの半分以下で、腸の働きを活発にする作用がある。

◆やまいも《山芋》
 里に産する里芋に対して、山でとれる芋ということでこの名がある。日本の山野に古くからあったヤマノイモ(●●●●●)自然(じねん)(じょ))と、中国から伝来した長芋類があり、後者をヤマイモと呼び区別する。粘りけのあることが特徴で主成分は糖質、でんぷん分解酵素を含んでいるので消化がよい。ヤマノイモは非常に貴重なもので、宮廷においても料理の締めくくりとして、芋粥(いもがゆ)として食された。また、漢方では「山薬」という薬の原料で、滋養・強壮によく効くといわれている。

《自然薯》山芋の自生種で、強烈な粘りけが特徴。

《長芋》         全国的に栽培されている。まっすぐな棒状をしていて、粘り気が少ない。

《大和芋》手のひらのような形をしており、正式名はいちょう芋。とろろ芋などと呼ばれることもある。アクが少なく粘りけが強い。

《つくね芋》黒皮系の丹波芋、白皮系の伊勢芋などが有名。強い粘りけをもつ。

◆じゃがいも《馬鈴薯》
 南米アンデス山系の高冷地が原産のナス科。日本に伝来したのは16世紀の終わり頃、ポルトガル人によってジャガタラ(ジャカルタ)経由で長崎に運ばれたといわれている。ジャガタライモがつまってジャガイモになった。サツマイモより早い伝来でありながら、普及しなかったのは、当時のものはアクが強く、のどを刺激するいがらっぽさがあったために、日本人の好みに適さなかった。のち、北海道で栽培されるようになり、その風土地味が適合し普及した。ジャガイモの優良品種「ダンシャク」は明治39年「函館ドック」社長、川田竜吉男爵が改良したもの。

◆さつまいも《薩摩芋》
 中南米原産のヒルガオ科。15世紀コロンブスによりスペインに伝えられたのが伝搬のはじまり。日本への伝来は17世紀頃、長崎または琉球を経て九州南部のどちらかであるが、元禄の頃には、九州地方にかなりサツマイモは普及していた。急速に日本全土にひろがったのは、享保の飢饉(1732年)のとき、徳川吉宗が食料政策としてこれの栽培に力を入れたことによる。「サツマイモ」という名は、江戸っ子たちが薩摩からきた新作物ということで呼び始めたようだ。

◆こんにゃくいも《蒟蒻芋》
 インド原産のサトイモ科の多年草。日本には奈良時代に中国から渡来、精進料理の材料として普及。製法は球茎をつき砕いてもちとし、濃い灰汁に石灰を加えて煮て固めたものであるが、保存はきかない。江戸期なって現在のような粉コンニャクの製法が開発される。消化吸収は悪く97%は水分で栄養はない。ただ、昔から「砂払い」といって整腸の功があるといわれている。

◆くず《葛》
 日本の山野に自生するマメ科の多年草。大和吉野の山中に住む国栖(くず)の人々が、葛から葛粉(デンプン)を作り売り出したので、この植物を「クズ」と呼んだといわれている。葛の採集作業はかなりの重労働で、現在でのクズ粉はほとんどジャガイモのデンプンで代用されている。また、根を干したものは漢方薬の一つで葛根という。川端道喜(かわばたどうき)の粽、鍵善良房(かぎぜんよしふさ)のくづ切りは吉野葛を使用。

◆クワイ《慈姑》
 中国原産で塊茎(かいけい)を食用とするために水田で栽培される。泥中に地下茎をのばし、その先端に球状の塊茎をつけ、その塊茎に翌春伸びる芽が出ているので、「芽が出る、めでたい」にかけて、縁起物の野菜とされ、正月料理としての利用が多い。

◆ずいき《芋茎》
 ずいきはサトイモ類の茎をいうが、ふつうはイモ用とは別に、トウノイモやヤツガシラなど、えぐみの少ないものが主で栽培される。また、ずいきの皮をむいて干したものは芋がらともいい、昔からの保存食で生のずいきに比べてカロリーが高く、栄養素も多い。

◆瑞饋祭《ずいき祭》
 北野天満宮のずいき祭は101日〜5日。神輿(みこし)の屋根をずいきで()いて、神輿全体を野菜で飾り、人物や花鳥も湯葉や麩や海苔で作って、巡行する異様なお祭りである。五穀(ごこく)豊饒(ほうじょう)を感謝し新穀(しんこく)蔬菜(そさい)など神前に供えたのに始まるといわれているが、里芋(ずいき)に魔よけのような呪術的な意味合いがあったかもしれない。

◆中秋の名月
 北野天満宮の名月祭は別名(いも)名月(めいげつ)ともいわれ、神前に芋と栗を奉納する。古来、月神は、露水や雷雨などをもたらし、農作物の豊饒と密接な関係がある神と思われていたのだろう。天満宮に限らず、各神社でも芋がメインで奉納される。

◆京都の雑煮
 人の頭になるようにと(かしら)(いも)、子孫繁栄のこいも、大地に根を張って生きる辛味大根、それに丸い小餅を入れ、白味噌仕立ての汁をはる。ダシは昆布だしのみで、鰹節は盛り付けたお椀の上から。汁椀は男性が朱塗、女性は黒塗のものを用いる。

◆いもぼう
 京名物の代表。いもぼう平野屋本家の歴史は、そのまま「いもぼう」の歴史。約300年前、御所に仕えていた初代権太夫は、宮様が九州に行幸になった際お供をし、その際持ち帰った「唐の芋」を育てたところ、エビの形にそっくりな里芋ができた。これを献上品である干物の棒ダラと炊き合わせるのに、独特の調理法を考え「いもぼう」が生まれたという。後、円山公園の地で創業、13代受け継がれている。

◆麦めしとろろ
 「麦めしとろろ」といえば、鯖街道の街道茶屋として400年前創業した「山ばな平八茶屋」の代表する味。丹波産つくねいもと麦めし(良質のタンパク質、消化酵素ジャスターゼとビタミンB1)は栄養と消化にすぐれた、美容にも効く健康食。栄養と消化ということを生活の知恵から知り、麦めしとろろ芋の取り合わせを考えた昔の人の着想が生んだ味。

◆くづ切り
 享保年間(171636)創業の鍵善良房の代表する一品。本来、料理として利用されてきたくづ切りを、氷水に入れ、黒蜜(蜜と黒砂糖)で食べる菓子にした。もちろん吉野葛を利用。くづ切りを氷水に入れるのは、濁るのを防ぐため。幕末の頃、くづ切りを螺鈿で施した漆の容器に入れ、それを岡持ちに入れて出前したという。今なお鍵善ではその名残をとどめて供している。

◆一口《いもあらい》
 難しい京都の地名の代表格。三方が沼(巨椋池)で、一方しか入口がなかったため「一口」というが、なぜ「いもあらい」と読むのかよくわからない。宇治や京都への水上交通の入口であったため、都への疫病・穢瘡(えも)(疱瘡)の侵入を防ぐためのお祓い所があり、穢瘡(えも→いも)を洗い流す所だったのではないだろうか。東京神田に「一口坂」という地名が残っていて、その近くに「太田姫稲荷」がある。その社伝には、太田道灌の娘が疱瘡にかかったとき、山城国一口の稲荷をこの地に祀ったと伝えており、そのことから「一口坂」という地名が残ったようだ。しかし、ただ単に「一口」で芋を洗っただけの由来かもしれない。

◆わらび餅
 わらび粉をこねて蒸した餅菓子の一種で奈良の名物。風味が葛餅に類似するところから、葛餅をわらび餅と称して商うことが江戸時代から行われていた。現在でも実際にわらび粉を使用したわらび餅は非常に少なく高価である。わらび粉はワラビの根を掘り、これを砕いてデンプンを採取して作る。葛粉もわらび粉も採取作業はかなりの重労働。葛もわらびもデンプンにしてしまえば識別は難しく、カタクリ粉などと共に、今ではジャガイモのデンプンがほとんどではないだろうか。

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