京都観光タクシー同友会の観光案内
【飛鳥】《飛鳥総合案内所》Tel:0744-54-3624
甘樫丘 | 飛鳥寺山門 | 飛鳥寺庭園 1 |
飛鳥寺庭園 2 | 飛鳥大仏 | 蘇我入鹿首塚 |
■甘樫丘 飛鳥の国見の絶好の場所。※大和三山をはじめ二上山が見える。蘇我蝦夷・入鹿父子が居宅を構えたが、大化改新で蘇我入鹿は殺され、蘇我氏終焉の地になった。丘の西側は歴史公園として整備され、万葉植物園路になっている。日本書紀に登場する40種類の草木が植えられ、2.3km、所要約2時間。
※大和三山 天香具山・耳成山・畝傍山の三山をいう。天香具山は多武峰の端山で標高152m。天上の山が天降ったものと信じられ、古代祭祀の場所であったという。三山の中で唯一「天」が付く。耳成山は死火山で、標高140m。畝傍山も死火山で、三山の中で最も高く標高199m。飛鳥地方から二上山を背景に見る姿が美しいという。三山には妻争いの伝説があり、天香具山と耳成山を男性、畝傍山を女性にみたてたという。
■安居院(飛鳥寺・法興寺・元興寺)《真言宗豊山派》
我が国最初の本格寺院。飛鳥を代表する寺として、また、中大兄皇子と中臣鎌子(藤原鎌足)の出会いの場所として有名。蘇我馬子の発願で588(推古4)年に竣工、塔を中心に東西北の三方に金堂を置く独特の配置であったという。平城遷都に従って移転し、平城京の寺を元興寺、当寺は本元興寺と呼ばれた。
◆釈迦如来坐像(飛鳥大仏)[重文] 日本最古の丈六の仏像。法隆寺金堂の釈迦三尊像を造った止利仏師の作。創建時(606年・推古14)の位置のまま鎮座、杏仁型の目などに飛鳥仏の特徴。
飛鳥坐神社 | 石舞台 | 伝飛鳥板葺宮跡 |
亀形石造物 | 亀石 | 水落遺跡 |
鬼の俎 | 鬼の雪隠 | 酒舟石 |
橘寺本堂 | 橘寺・二面石 | 高松塚古墳 06_3 |
■橘寺[史跡] 聖徳太子誕生の地と伝える。8世紀の最盛期には66の諸堂を連ねていたが、現在は本堂、太子堂、経堂、観音堂などが残る。
◆聖徳太子坐像[重文] 太子35歳のときの姿。室町時代の作。
■竜蓋寺(岡寺)《真言宗豊山派》
天武天皇の皇子である草壁皇子が住んでいた岡宮を義淵僧正(日本における法相宗の元祖)がもらいうけて寺としたのが始まり。西国三十三所第7番札所。
◆義淵僧正坐像[国宝] 木心乾漆造。天平から貞観にかけて造像。
◆如意輪観音坐像[重文] 我が国最大の塑像。高さ4.8m。厄除け観音として信仰されている。
■石舞台古墳[特別史跡] 蘇我馬子の墓といわれる上円下方墳。石の総重量2300t。石室が露出しているのは、蘇我氏を嫌った後世の人が封土をはがしたためとも伝わる。しかし、実のところは、近くの高取城の築城の際に石垣としての利用を試みたという。だが、あまりに重くて運べなかったのが真相のようで、飛鳥のあちこちに残る巨石は、運ぶのをあきらめ放置した可能性がある。
南大和の石造文化財は、一高取城築城のため、たいへんな被害を受けた。その元凶は、豊臣秀吉の弟・大和大納言豊臣秀長であった。郡山城では平城京址を壊し、高取城では飛鳥の遺跡を壊した。
■高松塚古墳[特別史跡] 昭和47年、石槨内部に鮮やかな壁画が描かれているのが発見。壁画は漆喰の上に極彩色で人物、四神、日、月、星宿を描く。隣の壁画館には、前田青邨らが描いた模写壁画と石槨が再現。
近年、壁画がカビの影響をうけているため、高松塚古墳壁画[国宝]の恒久保存のため、古墳から石室を取り出して、「解体修理」をおこなっている。
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