京都観光タクシー同友会の観光案内
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1139年(保延3)鳥羽上皇が鳥羽離宮の東殿に一宇を建立し、無量寿仏三尊を安置されたのに始まる。安楽寿院はその名前のとおり、浄土教に基づき極楽浄土を希求するため阿弥陀三尊を本尊とした。その後、本御塔、九体阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂、新御塔が次々と建立された。中世以降は兵火にしばしば罹災し、寺運は次第に衰微、桃山時代になり豊臣秀吉よる五百石の朱印領で、かろうじて法灯をつたえてきた。近年までわずかに残っていた諸堂宇も台風によって倒壊し、今は塔頭・前松院をもって本坊としている。
山門 | 書院庭園 | 豊臣秀吉朱印状 |
阿弥陀堂 | 大師堂 | 三宝荒神社 |
三尊石仏 | 宝物館前庭園 | 宝物館 |
■書院・庫裡 1795年(寛政7)の建立
■阿弥陀堂(旧本堂) 昭和33年の再建になる小堂であるが、堂内に鳥羽上皇の念持仏とつたえる阿弥陀如来坐像[重文]を安置する。胸の中央に卍が書かれているので、俗に「卍の阿弥陀」と呼ばれる。
■大師堂 1596年(慶長元年)伏見地震の折、倒壊した新御塔の遺材を以て移築再建した建物で、豊臣秀頼によって復興。本尊弘法大師像および大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など旧塔頭の仏像を安置する。
■三宝荒神社 1606年(慶長11)新御塔再建の際、火難を除くために三宝荒神を勧請したといわれ、以後の400年間は一度も火災にあっていないといい、三宝荒神の霊験といわれ火難消徐の神様として信仰されている。また、眼病平癒祈願の信仰があり、一に「眼病み荒神」とも称する。
■三尊石仏 平安時代の作で釈迦、弥陀、薬師三尊の3面が江戸時代に発掘。内の弥陀三尊像は京都国立博物館に寄託されている。凝灰岩でできており、昔はこの石仏の体を削って水で練り、子供の顔に塗るとくさが治るという信仰があったため、傷んでいるといいます。
■五輪石塔[重文] 鎌倉中期の作。高さ3メートル、花崗岩製。「如法経塚」ともいい、鳥羽上皇が如法経を埋められたとつたえるが、地輪に刻まれた銘文により、1287年(弘安10)、阿弥陀信仰によって建立されたと推定されている。
■寺宝 絹本著色「孔雀明王像(重文)」・「普賢菩薩像(重文)」・「阿弥陀二十五菩薩来迎図(重文)」。他に鳥羽法皇・美福門院・八条女院の宸影等を有する。
参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より